春散歩
こんにちは ケラアンです(=´ω`)ノ
温かくなってきましたw
昨日から気温が上昇気味で、今日の帯広市の予想最高気温は16℃!
ラジオで聞いたところでは、上士幌町のぬかびら源泉峡で朝の気温が8℃台。
2桁の気温を見ただけで暑くなった気がしてきます。
こうポカポカしてくると春探しに散歩したくなります。
今日は、黄色の花 福寿草を見つけました。
気温の上がり方が急だったこともあり、すでに満開の庭もあります。
こうなると景色が春に包まれるのは早いもので、この間の大雪が既に夢物語だった気さえしてきます。
ところで「春眠暁を覚えず」
なんだか眠くなってきませんか?ヽ( ´O`)ゞ
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春を見つけに
今年最初のフキノトウ
夏にはイタドリに埋もれてしまう場所ですが、毎年春を確認する場所が決まっています。
こんにちはケラアンです。(=´ω`)ノ
北海道は春が遅いと言いますが、積もった残雪の下ですでに始まっています。
まだ強い霜の降りる日もあるし、雪が舞う日もしばらくあるのでしょうが
冬将軍の撤退も間もなくです。
春を探しに出掛けましょう。
できれば歩いて
チューリップの新芽も膨らんできていました。
春は郊外でも街中でも見つかります。
路肩の雨水溝に流れ落ちる雪解け水の音さえ心地よい
ちょっと歩き疲れたら『とんとん』で最寄りのお店もチェックしましょう。
春が現実のものとなると名残惜しくなるのが、日陰の軒下で小さくなっている雪の塊。
あれほど大雪でうんざりしていたのに勝手なものですね…
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春の香り
こんにちはケラアンです(=´ω`)ノ
春の香りがしてきました。
このところ大雪が続いて、あんなに雪が降った後ですが、融ける勢いの早いこと!
北海道の強力な冬将軍も春の勢いにタジタジ…という感じです。
郊外の農家やゴルフ場では、まだ真っ白な雪原に融雪剤を撒き始めています。
さすがの重い雪もほんの少し色がついただけで、みるみる融けていく。
その様は、融けるというよりも
真っ白いキャンバスに薄いチョークで下絵を描き始めているかのように思えます。
今年の北海道、そして十勝の大地の色も昨年に違わず豊かで鮮やかに彩られることでしょう。
暑いのが苦手な白鳥たちは、そろそろ北へ飛び立つようです。
畑の向こうで休んでいた白鳥たち、普段はここでは見かけないのですが、融雪剤に染まった雪原を水辺と思ったのでしょうか?
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ワンダーFULL TOKACHI File.19 幻の秘湯『さわと』
- 2015-02-10 (火)
- ワンダーFULL TOKACHI | 未分類
- 投稿者:ケラアン
さわと温泉 (上士幌町・糠平湖)
『寒い 寒い』と言いながら、どこかこの寒さを楽しんでいる。 それが『北海道に暮らす』ということです。
それにしてもこの冬は、全国的にも降雪量が多いようで、毎日が雪かき。場合によっては幹線道が雪で塞がり孤立してしまう地域などTVのニュースでは雪害に悩まされる人たちの様子が映されていました。
過ぎたるは及ばざるごとし… 多すぎるのは困りますが、少なすぎても困るのが『雪』。
十勝は北海道内各地にくらべ、冬の天気が安定しやすいので、雪が積もったといっても数日もすると路面はきれいに乾いてくる。そのかわり厳しいのが朝の冷え込み。
寒い季節、食卓には鍋料理が頻繁に登場します。
このところ凝っているのが『ミルフィーユ鍋』。白菜と豚バラ肉を重ねて重ねて鍋にぎっしり詰め込んで煮る。あれですw
専用の鍋スープも市販されていますし、あれこれ具材をたくさんそろえる必要もないうえ、家族にウケが良いのでおすすめ。
冬のもうひとつの楽しみが『温泉』。
もちろん年中行きますが、冬の露天風呂はいっそう身体にじんわり効くように思います。雪景色の中で湯気がもうもうと立ちのぼる景観もまた格別。これも凝り出して、出掛ける先々の温泉をチェックするようになると、ちょっとした『温泉マニア』なのです。
十勝管内の温泉は、泉質もたいへん豊かで、浴室の眺めにも志向をこらし、温欲(?)をくすぐるお風呂がたくさんある。
だから「ここが私の一番!」と決めるのは、かなり難しい。
この温泉、旅館やホテル、保養施設等に利用されるものとは別に泉源はあるものの利用されていない、もしくは利用された過去はあるが現在は使われていない。ところによっては昔から自噴して流れるままにされている湯も多い。
『野湯』とと呼ばれる温泉湯場。そのひとつが、『さわと温泉』。それも1年の限られた時期だけに現れる『幻の秘湯』です。
さわと温泉は、上士幌町の電源ダムによる人造湖『糠平湖』にある。 糠平といえば『幻の橋タウシュベツ川橋梁』が最も有名です。この橋はダム湖の水が増えることにより湖水に沈み、減水期の冬に氷の下から徐々に姿を現す光景が人々を魅了する旧国鉄士幌線のダム建設以前まで使用されていた旧線アーチ橋。
この橋と同じように湖水に沈み、減水期にふたたび湯煙を立ち上らせる温泉が『さわと』なのです。
『さわと』と名付けられた野湯ですが、その源泉は古い時代よりアイヌの人々に知られていました。
この源泉の脇を流れる川が、ぺンケユウンナイ川。
ぺンケ=下流、川下
ユ=温泉
ウン=~にある
ナイ=川
『下流に温泉のある川』といった意味です。
※アイヌ語の「川」には「ベツ」と「ナイ」と呼ぶ2種類があり、「ベツ」は水かさが増すとすぐに氾濫してしまう危険な川を指し、「ナイ」は岸がわりとしっかりしており、洪水にも強い川を現わしています。
つまり、地名に「ベツ」という音が当てられている地域の川は、洪水の危険をはらんでいるという意味があることになります。
※同じように、アイヌの言葉の「水」にも「ワッカ」と「ベ」という2種類があり、「ワッカ」は飲める水、「ベ」は飲めない水を指しています。例えば「ワッカナイ」という地名は“川の水を飲んでも大丈夫な上、洪水の恐れもなく川縁で暮らしても安全”という意味がある。
温泉の始まり
大正2年(1913)、長沢元治氏がこの川縁の源泉を利用して長沢温泉(資料により「ペンケユウンナイ温泉」との記述もあり)を開業。
開業当初から、その経営は他人に任せていました。この頃は、十勝監獄(帯広外役所→十勝分監→十勝監獄)の囚人の労役によって音更山道(現在の国道273号線となる元の道)が大正7年に開削される以前であり、利用する客は造林業関係者のみで経営は思わしくなかったようです。
大正9年(1920)に入り、創業者の長沢氏は、この宿を自ら経営することになりました。
当時の詳細な経営記録はありませんが、帯広保健所の鉱泉試掘台帳によると大正14年(1925)に「長沢温泉旅館」の名は残されている。
62℃と60℃の2か所の湧出口を持つナトリウムアルカリ泉で、縦横9尺(およそ2.7m四方)深さ2尺5寸(およそ75cm)の砂湯であったらしい。
※砂湯(砂風呂)は、温泉の湧出する砂浜などで全身を砂中に埋めて蒸し温める方法で、浴衣に着替え利用する。砂浴の温度は砂の掘り下げぐあいによって調節が可能で、1回の砂浴は10~15分が適当とされる。 泉質はアルカリ性食塩泉が主で胃腸病・神経痛・婦人病・冷え症・リウマチ等に効用があるという。
※一方、島隆美氏による糠平温泉の発見は大正8年(1919)で、同年に泉質調査後、浴用施設開業の許可が下りたた。しかし音更山道が完成していたものの、資材搬送など施設建設に支障をきたすほどの奥地であったことから大正13年(1923)にようやく現在の「湯元館」の前身が開業しました。
しかし、交通の利便性はあいかわらず悪く、本格的に浴用の利用客が来るようになったのは大正14年(1925)以降(国鉄士幌線の前身)だった。
長沢元治氏の直接経営にも関わらず営業は思わしくない。しかしこの経営は、長沢氏が軍人恩給を受けるかたわらで、のんびり余生を送る暮らしの意味合いが強く、旅館に収入を託すほどの執着は、さほどなかった様子です。
長沢氏は福岡県出身、日露戦争時には憲兵曹長であり、主に密偵(スパイ活動)として活動。
日露戦争後、音更村役場で代書の仕事をしていました。(そのころ『長沢温泉』は業務委託により開業していた)
大正9年、ユキ夫人と温泉宿を自ら仕切るため、山深いペンケユウンナイに入りました。
ユキ夫人は、熊本県出身で東京の女学校を出ており、付近で作業する造材業者たちから「姐さん」として慕われていたそうです。
「姐さん」と呼ばれたのは、単に旅館の女将ということだけではなく、男勝り逸話があった。
音更村からいきなり人の少ない大雪山系の奥地の温泉まで来たのですが、暇さえあれば、鉄砲を背負って山鳥やキツネ・ヒグマを追って歩き、一人で野宿するという気性の強い女性であった。
十勝開拓の初期、まだ未知の原始林へ開拓に入る人々の中には、噂に事欠かない大物も多かった。その中でユキ夫人は女性ということもあり、その存在は特に抜きんでいたものと思われます。
この長沢温泉も、やがて歴史に幕を降ろす事になります。
そして幻に…
昭和15年(1940)、この旅館を鹿追村の熊谷ナヲ氏が買い取り、『熊谷温泉』として再開。
ところが昭和27年(1952)、この温泉旅館は糠平電源ダムの建設事業によって湖に沈む地域に含まれることからやむなく廃業に至ります。以後、ダムの完成と貯水により、温泉旅館跡はタウシュベツ川橋梁と共に糠平湖へ没してしまいました。
そのまま人々から忘れられる存在でしたが、糠平湖の特殊な性質によって限られた季節に『幻』は再びひっそりに現れるようになります。それも毎年のように…。
糠平湖は戦後の日本復興、北海道の電源のため開発されました。(現在主に道東域)
堰きとめられた音更川は十勝川水系の一級河川。音更は、アイヌ語の「オト プケ」(毛髪が生ずる)に由来する。これには「川の流れが乱れた髪の毛のようだ」という解釈もあり、沢水や支流を集めるこの川は水量も多く、古き時代の造林作業では、森林資源搬送に川を使った『流送』が行われていた。
その豊富な水は発電の源とするため、上流域の取水ダムで流量制限され、導水管により、その多くが足寄や本別の発電所まで送られるため、音更川の下流は静かな流れとなりました。
糠平ダムより上流域の谷間は人造湖『糠平湖』となって、電源だけではなく山間に新たな景観を作り観光地としても脚光を浴びるようになります。
天然湖の赴きを呈した人造湖にはヤマベやワカサギが放流され、冬はワカサギ釣りで賑わう。ニジマス、コイ、ウグイ、ブラウントラウト、ハナカジカ、オショロコマも生息している。
この糠平湖、貯水量が常に一定というわけではなく、発電用途の他、雪解け水や雨量による調整、冬季の河川流量の減少で大きく水位が変わることから、当初遊覧船も定期運行されていましたが、現在はありません。
もしかすると遊覧船の窓からタウシュベツ川橋梁をのぞむ…ということもあったかもしれませんね。
2015年の「さわと」を訪ねる
水位が特に下がる冬季間。
糠平湖は厚い氷で覆われ、五の沢から降りるとたくさんのワカサギ釣りの人たちのテントが並び、ちょっとしたテント村の様相です。
そのテント村の間を抜けて真っすぐ反対岸へ向かう。
湖の上に岬のように張り出した高台のひとつの裏側にその場所があることは知っていましたが、どれがそれに当るのかがよくわからない。(真冬だから近くまで行けば湯気が昇るのが見えると思っていたw)
対岸がハッキリ見えるけれど岸までは、なかなか近づかない。ずーと同じ景色が続くような気がして改めて糠平湖の大きさを知りました。かれこれ40分近くかかっていたかもしれない。
ワカサギ釣りのテント村がいつの間にか砂粒のように小さく見えた頃に河口らしきところを発見。運よく『さわと』を発見。
岩石を並べて作った湯船はとても浅く、泥が沈殿している。たぶん脚を伸ばして入ったとしても腰から下がせいぜのようでした。
秘湯等関連の書籍によると『湧出料は豊富』とのことですが、この湯船に注ぎ込む流れはとても細い。
お湯は、ほとんど無臭ながら、ときおり流れの中でポコポコとガスが湧き上がり、かすかに硫黄臭がします。
このもとめどなく流れ続ける様を見ていると大自然の不思議さを感じずにいられません。
手を入れてみると 『熱い!』 たぶん家風呂だと熱めなほうの温度でしっかりした温泉です。
『さわと』の名は、熊谷温泉(長沢)跡を訪ねた秘湯愛好家たちが名付けたそうです。
この『さわと温泉』、一時は幻の温泉として全国に有名になった過去もあり、その当時の載る本では浴槽も設置され、誘引ホースや洗い場、脱衣所も設置されてタウシュベツ川橋梁と同様に多くの人々が訪れました。
しかし、現在その設備は全て撤去されました。
秘湯愛好者などのブログでも高頻度で登場するので人気が下降したわけでもないのに…
そこには事情がありました。
それが『自然公園法』。 この行為は、よもすると懲罰に値することになりかねなかったのです。
自然公園の保護と利用
自然公園の指定地域では、開発を全面的に禁止してはいない。国有地、公有地のほか、民有地も含まれるため、農業や林業、その他の産業活動を行なうことも一定の条件下で許容している。
自然公園では、地域の自然環境の実情に応じて、どのような保護や利用を行うか計画するため、「公園計画」を策定している。この公園計画では、保護や利用などについて、以下のような地区を設定し、管理を行っている。
特別地域
公園の風致を維持するための地域。用途に応じて、第一種から第三種まで区別がある。以下の行為には、許可が必要となる。
工作物の新築・改築、樹木の伐採、鉱物の採取、河川・湖沼の取水・排水、広告の掲示、土地の埋立・開墾、動植物の捕獲・採取、本来の生息地でない動物の放鳥獣、本来の生育地でない植物の植栽、施設の塗装色彩の変更、指定区域内への立入、指定区域内での車の使用など
第一種特別地域
特別保護地区に準ずる景観を有し、特別地域のうちでは風致を維持する必要性が最も高い地域であって、現在の景観を極力保護することが必要な地域
第二種特別地域
特に農林漁業活動については努めて調整を図ることが必要な地域
第三種特別地域
特に通常の農林漁業活動については原則として風致の維持に影響を及ぼすおそれが少ない地域
特別保護地区
特別地域の内、特に重要な地区。以下の行為には、許可が必要となる。
特別地域で許可を要する行為、樹木の損傷、動物の放鳥獣(家畜の放牧を含む)、植物の植栽・播種、物の集積・貯蔵、たき火
海域公園地区
海域の景観を維持するための地区。1970年(昭和45年)の改正で、「海中公園地区」として設定された。以下の行為には、許可が必要となる。
工作物の新築・改築、鉱物の採取、広告の掲示、動植物の採取、埋立・干拓、海底の形状の変更、物の繋留、排水、環境大臣が指定する区域・期間内の動力船の使用
普通地域
特別地域や海域公園地区に指定されていない自然公園の地域。以下の行為には、届出が必要となる。
工作物の新築・改築、特別地域の河川・湖沼へ影響を及ぼすこと、広告の掲示、水面の埋立・干拓、鉱物の掘採、土地や海底の形状の変更
以上のように比較的緩やかに述べられているものの届出をせず許可を受けることなくこのような行為に及ぶことは(保護法を知る知らないにかかわらず)処罰の対象になることも考えなければなりません。
実際にこの自然保護法(旧国立公園法も含む)に抵触し、現場の原状回復(改変前の状態に戻す)を命じられた例が十勝管内にもいくつかあるのです。これにはこっそりゴミを捨てる行為も含まれることでしょう。(※場合により罰金.懲役の罰則を科せられることもある)
なおかつ糠平湖は電源会社の私有地です。湖が年間通してレジャースポットとなるのも電源会社の好意と受け取らなければなりません。
古の湯を楽しむことが、すなわち法に触れるということではないのでしょうが、せいぜいビニールシートを敷き、近くの石などで押さえて仮の湯として、事後は元通りにすることが秘湯愛好者にふさわしいことだと思います。
それでも気持ちに留めておきたい。
秘湯愛好家は、自分たちだけのためにこの湯を見つけたわけではなく、たくさんの人たちと分かち合いたかったのだということを…
それでも手だけじゃ温泉欲が満たされませんので、糠平の湯へ入って行きましょう。
他にも自然味豊かな温泉あり。
糠平の湯は源泉100%かけながしw
参考:上士幌町史(昭和45年巻)
北海道無料温泉100秘湯(表正彦:著)
音更川の流送(上士幌町地域の宝探しの会編)
ウィキペディア: 糠平湖 糠平ダム 音更川 の項
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ひさびさに冷え込みましたw
こんにちは ケラアンです(=´ω`)ノ
今日の朝は、久々の冷え込みでしたね。
これでこそ北海道! こうじゃなきゃ冬のイベントが始まらない!
とは言っても寒い物は寒い!
この冬は、始まりころは寒い日もありましたが、年が明けてから温かい日が続き、最高気温がプラスに転じる日もけっこうあったようです。
わたしの通勤道である「国道38号線」の中央分離帯に気温計があって毎朝見ていますが、このところ朝の気温がマイナス10℃以下になっているところは、ほとんど見ていなかった。
こんな陽気だったので、北海道ならではの『樹氷』や『ダイヤモンドダスト』も近頃は、あまり目にしていませんでした。
そして、今朝の冷え込み!
平原大橋へ寄ってきました。
十勝川からモウモウと川霧が立ち上がって、川の上流へと遡上しているように見えました。
上流からは、氷の固まりがくる。
ずっと眺めていると温かそうに見えてくるのですが、気温が水温を上回ることで、こんな様子が見られるという。
寒い朝ですが、こんな絶景を見られるのが、北海道の冬。
温かいものが特に美味しい冬なのです。
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ワンダーFULL TOKACHI File.18 大丈夫の杜
- 2015-01-28 (水)
- とんとん日記 | ワンダーFULL TOKACHI | 未分類
- 投稿者:ケラアン
帯廣神社(帯広市)
日本は「数多万の国」と称されることがあります。
どこの町や村へ行っても神社や祠が必ずある。その地域を守る「鎮守の神様」。
新しい年の始まり「初詣」から、厄払い・合格祈願など1年を通して神社を訪れる機会はたくさんあります。
信心の度合いは別として「祈り」は私たちにとって日常の一部と呼んでも差し支えないでしょう。(信仰はひとそれぞれですが…)
られ、「日本むかしばなし」においても神社の境内で遊ぶ子ども(氏子)たちの姿が描かれるシーンがたくさん見られるように「神様」は身近なのです。
特別なお願いごとがなくとも朝の散歩・ウオーキングの道すがら参拝していく人は多く、早朝から和やかな雰囲気。
それでありながら鳥居の外とは空気感が違い、街中でありながら大自然を感じることができることは心身の癒しの場にちがいありません。
十勝・帯広市内には、他にも鎮守の神が祀られる神社が多くありますが、その代表が「帯廣神社」。 祀られている神様は三柱(神様は「柱」で数えます)
大國魂神(おおくにたまのかみ) 北海道の国土の神
大那牟遲神(おおなむちのかみ) 国土経営・開拓の神
少彦名神(すくなひこなのかみ) 国土経営・医薬・酒造の神
御祭神の三柱の神は「開拓の三神」と称せられ、国土の安全(経営)・開拓(開発)の神として広く信仰されています。
【御神徳】 帯廣神社の鎮座地は帯広市中心街の鬼門(北東)の方向に当たることから方位除け、災難除け、厄除け等、諸災難除けの守護神として御霊験あらたかです。また、境内地が帯広の流通の要である国道38号線に面することから、交通安全の信仰も篤いのです。
(帯廣神社公式ホームページより抜粋)
帯廣神社の由緒
明治時代、官による開拓が進められる中、帯広は静岡県から依田勉三率いる民間会社である晩成社が開拓を始めた。 明治43年以前、旧柏小学校辺りに祠があり、帯広神社と呼称、祭典も営まれ余興に祭典ばんばが行われていた。 明治42年、神社移転造成の話が持ち上がり、町民大会を開催し、現在地を境内地として仮殿造営参道整備に着手。 明治43年に例祭日を9月24日と定め、神社創立願を道庁長官に提出、社掌荒井重矩と藤本長蔵が札幌神社(現北海道神宮)に赴き御分霊を授かり鎮斎した。4つの各祭典区では、山車を作り駅前でこれを出迎えた。 明治44年に無格社、大正7年に郷社、昭和4年に県社として昇格。昭和11年、朝香宮鳩彦王殿下御参拝、天皇陛下帯広市行事の際に勅使御差遣があり幣帛料を賜る。 昭和35年、御鎮座五十周年記念祭を斎行し、頓宮を造営。昭和51年神社本庁別表神社に加列、その記念と御鎮座七十周年記念事業として、昭和54年に現在の社殿、翌55年には現在の社務所を造営した。 平成22年には御鎮座百周年の臨時大祭を斎行、献幣使に神社本庁総長が参向された。記念事業として参集所及び祖霊殿の新築、他境内整備事業が行われた。
(帯廣神社御鎮座百周年記念誌 平成22年8月 帯廣神社御鎮座百周年記念実行委員会発行 より)
帯廣神社 略年表
1855年(明治18)頃から祭祀を行う。
1860年(明治23)に晩成社が祠を建てて「帯廣神社」と称した。(これが帯廣神社の起源ともされるが、これと現在の「帯廣神社」の繋がりがはよく解っていないそうです。)
1909年(明治42)神社の移転・御造営の話が持ち上がる。
1910年(明治43)神社創立願を北海道庁へ提出。同年9月24日に札幌神社(現在の北海道神宮)から分霊の勧請を受ける。
1911年(明治44)無格社に列する。
1915年(大正4)に本殿・拝殿を造営 1918年(大正7)郷社に昇格。
1930年(昭和5)県社に昇格。
1960年(昭和35)御鎮座50周年記念祭が斎行され、頓宮などを造営。
1936年(昭和11)天皇陛下帯広市行幸の際に勅使御差遣があり幣帛料を賜る。
1976年(昭和51)神社本庁別表神社(道内に六社)に加列
1979年(昭和54)別表神社加列記念・御鎮座70周年記念事業として、昭和54年に社殿、翌年には社務所を造営。
1985年(昭和60)御鎮座75周年記念事業として外玉垣などを改修。
1990年(平成2)御鎮座80周年記念事業として参道などの改修。
1995年(平成7)御鎮座85周年事業として祭務所を改築、また内玉垣・頓宮御社殿の一部を改修。
2000年(平成12)御鎮座90年奉告祭が斎行され包丁式の奉納。 部落神社である春日神社を境内神社とし神社移転、社殿・社務所の造営工事を行う。
2010年(平成22)「御鎮座百周年記念事業」が行われる。
無格社 旧神社制度のうえで最も低い位置にある、公の資格をもたない神社。神饌幣帛料の供進などを受けることができなかった。
郷 社 もと、神社の社格のひとつ。府県社の下、村社の上に位置する。
県 社 旧制度の神社の社格のひとつ。官・国幣社より下、郷社より上で、県から奉幣した神社。 http://www.obihirojinja.jp/
帯廣神社のこと
ばんば絵馬
御由緒にあるとおり、明治43年頃までの祭典で、余興として輓馬(ばんば)が行われ、大いに賑わっていたのだそうです。
旧柏小学校付近に祠があり、1年の収穫を終えた人々は収穫感謝の祭りを行い、それぞれの所有する農耕馬の力自慢とばかりに、今でいう「ばんえい競馬」が開催されました。
その後、神社が移転することに伴い、輓馬も現在地へ移転されました。この移転に伴い、神社と「ばんえい競馬」は切り離された形になりましたが、お正月に行われる帯広畜産大学による馬上参拝や帯廣神社の「ばんば絵馬」などに受け継がれています。
「ばんば絵馬」は、ばんえい競馬で馬が大きな障害を乗り越えて突き進む姿から、どんな困難も乗り越えるということで「合格祈願」に評判です。
この絵馬は、漫画「銀の匙 Silver spoon」にも登場し(作品内で「帯廣神社」は「大蝦夷神社」の名で登場しますが、まさに帯廣神社そのままです)登場人物が「ばんば絵馬」を奉納するシーンがあります。
帯広観光コンベンション協会で企画している「銀の匙の世界を体験!スタンプラリー」、帯廣神社でのスタンプは、蝦夷農馬術部のマロンです。
帯廣神社には、普通の形の絵馬もあり、他に面白いもので『縁結び絵馬 かつら文』という変わり絵馬があります。
万葉集で詠われ月に住むといわれる妖怪で美男の「かつら男」と竹取物語の美女「かぐや姫」。
帯廣神社の境内にはハート形をした可愛らしい葉が特徴の『桂』の木があり、この葉を模した『かつら文』絵馬。
あなたのまだ結ばれぬ「かつら男」(あるいは「かぐや姫」)へ想いを込めた恋文(願い事)をしたためて境内所定の桂の木に結びます。 (毎年4月下旬から10月末の期間)
この「かつら文」は、期間中の満月を迎える日だけは、特別な色に紅葉したものが授与されます。
写真供養祭
帯廣神社で執り行われる恒例祭典に「写真感謝祭」という、あまり聞き慣れないお祭りがあります。
思い入れがあって捨てられない写真を供養後に焼却する「写真感謝祭」で例年6月1日に執り行われます。市民から写真の処分について相談を受けたのをきっかけに、1994年に始まりました。
似たもので、お寺などで行われる「人形供養」がありますが、なるほど!写真の中にも無下に捨てることができないものがありますね。
卯の門
帯廣神社の東側、「東」は十二支で方位を表すと「卯」であるところから門に卯の飾り金具が配されています。
うさぎは日本神話の「因幡の白兎」で大国主命(おおくにぬしのみこと)を稲羽の八神上売(やがみひめ)との縁結びに導いたことから兎神とされています。
手水舎
「手水」は、心身を清める「みそぎ」を簡略化したものといわれています。
一般的な作法は
1、右手で柄杓を持ち汲んだ水を左手にかけて清める
2、左手に柄杓を持ち替えて右手を清める
3、あらためて右手に柄杓を持ち、左手に水を溜め、その水で口をすすぐ。(柄杓から直接はダメです)
4、もう一度左手に水をかけ、柄杓を元の位置へ戻す
※手水はひと汲みで最後の左手まで清められるようになると美しい作法とされます。
※手水は飲んでご利益を得られるものではありません。
この帯廣神社の手水、冬場に行くとはっきりとわかりますが、温泉の香りがします。
参拝者からも「温泉みたい」という声がきかれますが、温かいわけではありません。冬の冷え込む朝、もうもうと湯気のようなものが立ち上がる様を見ると温かそうですが、足元は凍って滑りやすいので注意です。
なぜ、手水に龍なのか?
龍神様は、雲や雨を司る水の神様で、水は生きていく上で、水は命の源。その龍神様から出るお水は、「ご神水」というわけです。この、ご神水で手や口を清めて、自身を祓い清々しい気持ちで参拝するということなのだそうです。
ところで、手水鉢の中にお賽銭を投げ込んであるところをたまに見かけますが、用途として、これは正しくないのでは?と思いますが、いかがでしょう。
大丈夫守り
福井県護国神社が発祥のお守りで、全国で4つの神社でしか領布されていないお守りです。
「大丈夫」は『ますらお(男性のこと)』とも読み、帯広開拓の祖、依田弁勉三が開拓を前に『ますらおが 心定めし北の海 風吹かば吹け 波立たば立て』と詠んだことから「目標達成」、そして何があっても大丈夫!と特に男性に人気があるそうです。
このお守り、本体・紐・文字全てが黒で統一されている。黒は神事において位が高い色だそうです。全国4つの神社の大丈夫守りの中で、黒1色で統一されているのは、ここだけ。
他にも、映画「幸福の黄色いハンカチ」で帯広がロケ地になったこと。旧広尾線「幸福駅」。そして春の境内で春の訪れを知らせる黄色の福寿草から、「幸福」を祈る黄色の「幸福守り」などがあります。
他にも多種なお守りが用意されていますが、お守り・お札は神社の神様と私たちの間のアンテナ役のようなものですから、「持って安心」ではありません。度、手に取って願い事をしましょう。
「願いがかなう お参り★開運(新道研究家 阿部慎也:著)」によると左手にお守りを乗せ、右手の人差し指・中指を付け、そこに親指を添えた3本の指をお守りに向け『ひふみ ゆらゆら』と唱えながら円を描くようにすると、お守りの力がアップするそうです。これは古神道の祝詞にも使われる言葉であるのだとか。
お守りをパワーアップさせるのも効力を最大限に引き出すのもあなた次第なのです。
神 馬
帯廣神社の鳥居を越えて左側の手水舎の手前。
大きな台座の上に勇ましく空に向かって駆け出す姿の馬の像があります。
この神馬の像を寄進したのが、中島 武市氏(1897-1978年)。
1914年に岐阜商業を卒業した後、大阪の呉服問屋へ。その後、名古屋の株屋を経て渡道。
旭川で書店に勤める。やがて帯広へ移り、1920年に「古着商中島商店」を開業。(後に「みつわ屋」と改名)
1936年に帯広商工会の副会頭になり、1939年には帯広市実業連合会長・十勝商工会連合会頭に就任。
1942年には帯広市議会議員に当選した。1943年9月には帯広商工会議所会頭(〜1950年11月)となり(1943年10月〜1946年9月までは北海道商工経済会帯広支部長)、1954年には帯広ロータリークラブ会長も務めている岐阜県本巣郡土貴野村(現在:本巣市)出身。
帯広市にとって名士に間違いありませんが、一般にはシンガーソングライターの中島みゆきさんの祖父にあたる方、という方が知られているかもしれません。
小学校時代に校長先生から「人は一代、名は末代じゃ。金は汚くためても社会公共のためにきれいに使うことが大切だ」と教えられ、そのために事業家として成功しながら様々な像を寄贈・寄進したそうです。
帯廣神社の国道38号線を挟んで向かい側にある「中島公園」の依田勉三像も昭和16年に寄贈。(2年後に金属接収で撤去されましたが、昭和25年に武市氏が改めて寄贈)
帯廣神社の神馬像は、氏が神社の神々に禁酒禁煙を誓い、その満願日に帯広神社へ寄贈したもので、その献納式の際にも向こう十年間の禁酒禁煙を誓い、寄付も資産の一つだという考え方を実践しました。この他にも氏は、市内小学校へ「二宮金次郎像」寄贈するなど有言実行の人でありました。
この神馬の台座下には人参が供えてあるのを良く見かけます。
身近なパワースポット「帯廣神社」へ行こう
●晩成社がこの地を開拓地に選んだ時の十勝は、原生林に覆われた土地でした。晩成社が入植した一帯は、白樺の樹木が多く、日差しも良く届く開けた土地であったといいます。『帯広発祥の地』付近、今の『水公園』のあたりを中心として帯廣神社の前も晩成社所有の土地が広がっていました。
帯廣神社が現在地へ移った後のこと、電信通りが繁華街であった当時、鎮守神社へ行くために回り込むことが不便であり、参道を延長してほしいとの声も高まっていました。
その頃はまだ神社前の電信通りまでの一帯は、晩成社が所有する土地であり、かないませんでしたが後に成晩成社から寄贈され、電信通りと繋がったいうことです。
●北海道の代表の神社(いわゆる『一の宮』。地域の中で最も社格の高いとされる神社のこと)は、『北海道神宮』です。
北海道神宮は、パワースポットに関する書籍にもよく登場します。帯廣神社は、前記の略年表にもあるとおり、北海道神宮から分霊された由緒ある神社であり、十勝においてのパワースポットのひとつに違いありません。「十勝のパワースポット」といった企画やブログ等にも登場しています。
十勝地方において、一の宮神社にあたるのは、広尾町にある「十勝神社」なのだそうで、十勝神社でいただける御朱印には「一の宮」の文字があります。
(御朱印とは、本来、参拝者が写経をお寺に納めた際にいただく印でした。いつの頃からか参拝したあかしとして頂けるようになりました。これは 「記念スタンプ」とは違うもので、寺社の神職者や僧侶等が墨書で寺社名や参拝日などを書き押印する。 近年は御朱印巡りブームもあり、御朱印帳を持参する参拝者も多い)
●お参りのマナー、鳥居は人の住む俗界と神域を区画する結界であり、一種の門です。「鳥居」の由来には諸説ありますが、「通り居る門」の意味から発したという説があります。神様の家の門なので一礼して入りましょう。
参道の中央は神様が通る路なので参拝の人は左側通行が作法です。参道を通ると間もなく左側に手水舎です。手水の作法は前記のとおりです。
拝殿前で、お参りするわけですが、「二礼 二拍手 一拝」はご存知の通りです。
でも、「●●●できますように…」とお願いごとから先に入るのではなく、名前・生年月日・干支・現住所と、いわゆる「自己紹介」をしてから、参じた目的(願い事)に入った方が良いそうです。(声に出す、出さないに関わらず)
お賽銭に関しては、35円(三重ご縁)とか45円(始終ご縁)という風にも言われていますが、神社は鎮守の地にある者たちから「広く浅く」との考えの元にあるため、お賽銭に上限下限があるわけではありません。大切なのは、お参りする人の「心」なのです。
参考図書:
帯広神社御鎮座百周年記念誌 帯広神社御鎮座百周年記念事業実行委員会/編(2010年)
帯広の碑と像 古きをたずねて 藤沢 清/編著(1982年)
角田東耕 聞き書き集 帯廣神社/巻
願いがかなう お参り☆開運の本 阿部慎也/著 (2010年)三笠書房
※文中の画像の一部は「帯広神社御鎮座百周年記念誌 帯広神社御鎮座百周年記念事業実行委員会/編(2010年)」より出典しております
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タウシュベツ川橋梁 今年も勇姿を現す
こんにちは ケラアンです(=´ω`)ノ
十勝の冬の風物詩のひとつ、上士幌町糠平湖のワカサギ釣り。
今年は1月4日から解禁となっています。
待ちかねたように釣りスポットの「三の沢」、「五の沢」付近の湖上は季節限定のテント村がにぎわっています。(テントの中で氷に穴を空け、釣り糸を垂らすので人の姿は余り見かけません)
湖面が厚い氷で覆われた季節だけの「幻の村」。
毎年、この季節に糠平湖を訪れていますが、私はワカサギ釣りをしたことがありません。
なぜならば、近く(歩いて30分ほど)に北海道遺産「旧国鉄士幌線アーチ橋梁群」のひとつ(2003年認定)で全国的にも『幻の橋』で名を知られる『タウシュベツ川橋梁』へ湖畔の反対側から湖上を歩いて直接向かえる─ こっちが本命の目的なのです。(今年は1月14日訪問)
糠平湖は、電源ダム湖である人造湖で元は音更川流域だったところ。
例年6月ころから増水期に入り、年末頃から放水による減水期に入り、水位が徐々に下がっていきます。
ダムができる以前、国鉄路線の一部であったタウシュベツ川橋梁は、ダム湖に沈んでしまうこととなり、新線へ切替に伴い、湖に沈んでしまいました。
この消えた橋が、渇水期に厚い氷を破って再び地上に姿を現す姿(実際には氷の方が沈下)が、鉄道マニアや旅人にとどまらず多くの人々を魅了し続けているのです。
ところが2003年(平成15)の十勝沖地震の際に中央部が一部崩落し、「1本の橋の姿をいつまで保ち続けられるのか…」と懸念されました。
出現のときに厚く重い氷に削られ、湖に沈んでいる間にしみ込んでいた水は凍結膨張で、少しづつ表面が落ちていく。
しばらく橋を見ていると時折、欠片がパラパラと落ちていくところ、そして氷上に散らばった小さな固まりを見ます。
昨年から、崩落の進んだ部分からの分断が心配されていましたが、今年も持ちこたえてくれたようです。
五の沢の湖畔からタウシュベツ川橋梁へ向う一直線のルートは、ダム湖の減水に伴う氷の沈下で、地響きのような音が良く聞こえる。(; ̄_ ̄)
ズゴゴゴゴゴゴ…
ズキュー…ンン…
ドガガガガガ…
テント村のある水深が深そうな場所では、さほど聞こえませんでしたが、ダムから離れた浅瀬の近いほうが凄まじいく音が響くようです。
初めて、氷上から幻の橋へ向った時、そんな知識が無かったので、周囲の透明度が高い厚い氷に走るオーロラのように走るヒビと底からわき上がる地鳴りのような音に氷上で表情まで凍りついてしまい、しばらく動く事ができませんでした。
あの音…毎年糠平湖へ通っていますが、いまだに慣れることはできません。
この氷上ウオーク、NPOひがし大雪ガイドセンターでガイド付きのツアー等を企画しておりますので、ひとりでは不安な方は利用してみると良いですよ。
※なお、真冬の糠平湖湖上、空気が極端に乾燥していることも多いため、飲料水とリップ・ハンドクリーム、快晴の日は日焼け止めなどを準備しておいたほうが便利です。歩行時間も長いため、天気が崩れそうな様子の時は、またの機会にしましょう。 そしてここは国立園内でもあるため、ゴミは残さないようにしてください。自然の恩恵を受け、癒されることへのせめてのものお礼です。
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冬の嵐
北海道内は、昨日から今朝にかけて暴風雪警報の出ていました。
朝になった外の様子は、まだ少し強い風も残っていていたものの、通勤路に高い吹きだまりができた場所はみかけませんでした。
皆さんの回りはいかがだったでしょう。
夕べ(7日)、帰宅するころから風が徐々に強くなり始め、郊外では飛ばされた雪が路面を川のように流れている。
真っすぐ前を見ていてもその流れに気持ちも流されていきそうで無意識に風下へ寄っていくようでした。
あのままだと朝は深い雪溜まりになっているのでは…と心配していましたが、幸いにして朝には風も収まってきて、早い時間から除雪も進んでいたようです。
この冬は雪が多くて、街中を除雪重機が行き来する様子を毎日のように見かけます。出動待機の職員さん、大変ご苦労様です。
今朝の市街地の枝道は、まだ降った後のように雪が残っていた。
路面が不安定なので若干、渋滞している場所もありました。
夏場と違い、この季節は天候に合わせて家を出る時間も考えなければと思います。
あの雪溜まりですが、風が流したものだから柔らかいのではないかとも思いますが、意外と小さく砕けた雪が固く締まっているものです。
道具で除けようとすると、プラ製の雪かきショベルで無理すると壊してしまうことにもなりかねません。それに向かう先の路上にできた雪溜まりを車で無理に越えようとすると車の下に雪山がつかえて動けない! ということにもなりかねません。
万が一のために雪よけ道具と防寒着は車に常備。そして天候が急変するような気象予報には注意し、無理な外出にならないようにしましょう。
それにしても夏路より速いのではないだろうか…というスピードで追い越していったあの車のドライバーは、よほど腕に自信があるのか、それとも尋常ではないハイグレードのタイヤを履かせているのかなぁ…
郊外でも60km/h走行が普通の私が言えることではありませんがw
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