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ワンダーFULL TOKACHI File.17  クマの「ミル公」

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ミル公碑 (中札内村)

村内(中札内村)に、全国でただ一つの、熊の子の墓がある。
羆(ヒグマ)に襲われた人の霊を弔う碑はあっても、羆自体を祀る碑は、ここだけであろう。その碑は「ミル公」。
場所は道々清水・大樹線が恵津美(えづみ)川をわたる左側、地蔵堂の横、帯広の書家小室吉助氏の書による小さな碑、なぜこの碑がここに…。 

(吉田勇治著 地元学ふるさと叢書第五号 小熊の「ミル公物語」冒頭部より)
中札内村

中札内村は「花と緑とアートの村」
道の駅「なかさつない」では十勝管内でもいち早く産地直売所の側面を持たせて中札内の特産物が格安で購入でき、十勝管内でも人気の高い道の駅。
坂本直行や相原求一朗、小泉淳作らの作品と古建築がこもれび射す散策路で結ばれた「中札内美術村」
童話の世界を切り抜いたような自然の夢物語のような公園「六花の森」
「花」の面でも道の駅や市街地のメインストリートはもちろんのこと、村民のお宅もオープンガーデンとして一般に公開(一部要確認・予約)されているところもあり、村のキャッチフレーズがそのまま村人のモットーであるようです。
ここから帯広市までは充分通勤圏内でもあり、宅地分譲が進み人口は少しづつ増加。少子化の昨今で児童数は減少している町村が多い中、中札内小学校は児童数は、少しづつ増加であると聞きます。

「中札内」の名は、村内を流れる札内川の中流に位置することに起源し、「札内」の元はアイヌ語の「サッナイ(乾いた川の意)」を音写している。(なぜ「乾いた川」と呼ばれたのはWonder full TOKACHI file.5 「ピョウタンの滝」をご覧ください。)

miru01札内川は日高山脈の札内岳付近に源を発し南東に流れ帯広市と幕別町の堺で十勝川に合流する川。この札内川が帯広市へ至る境、新中島橋の辺りから分岐する支流に「恵津美川」という小さな流れがある。
札内川の流れを逆送するようにして中札内村市街を横断し、道の駅「中札内」の西側を流れる川。この支流は、その気になれば、ひと飛びで越えられそうなほど小さな川。でもその流れは清流札内川の支流にふさわしく淀むことなく流れ、お盆時期には灯籠流しが行われているそうです。今でこそ少なくなったものの、この川で遊ぶ子どもたちの姿もかつてはたくさん見ることもできたでしょう。
市街から道道55号線(清水・大樹線)を西へ向かい少し行くと恵津美川にかかる「泉橋」
この橋の脇、川沿いの三角形の地に大きめな地蔵堂と大木(御神木)があり、ほぼ川岸に接するように「中村神社」の小さな鳥居がある。
その向こうにはヒュッテ(山小屋)風の祠を据えた神社、これと向かい合うように鋭角な台座の上に墓標らしきものが見える。
これがヒグマの子「ミル公」のお墓(慰霊碑)なのです。

 

街のアイドルになった小熊

帯広に到着昭和24年4月、友人のT君が「広尾で、崖から落ちた小グマを飼っていた漁師が、小グマを手放すと言っている。価格は8千円。帯広のKが経営している食料店『熊の子』のアイドルにどうか、二人で半分宛出そうでないか…」という話が持ち込まれてきた。8千円の半分といっても約1か月分の給料。
「よし、T君は小学校の同級生、Kは戦友の一人。小林を助けてやろうか」と、買い取ることにして、小グマが私たちのものになり、トラックで帯広市大通11丁目の小さな食料品店『熊の子』の店先に運ばれたのは、4月29日の夕方でした。その日からは、この小さな店は爆発的な人気、店の前は何事かと思うばかりの人だかり。沈滞状況の店はこの小グマで一挙に盛りかえしたと称してさしつかえない。

広尾で母グマとはぐれ、ヒトに救われて帯広までやってきた小グマは、ミルクを飲む仕草が可愛かったところから「ミル公」と名付けられます。戦後のまだ物資も、そして娯楽にも乏しい時代に「ミル公」は街のアイドルになり、子ども達の人気者でした。食料品店『熊の子』はこれにより評判の店になりました。
ところがこれで順風満帆だったわけではないようです。

(小熊の「ミル公物語」より)

 

※『帯広市大観(1956年 帯広広告社編)』において、食料品店『熊の子』を見つけることができましたが、大通13丁目で営業していた様子です。ミル公の存在は確かにお店の繁盛に尽力していたようです。

熊の子

ところが好事魔多しとか。
この春帯広で、熊祭を興行企画しお金だけ集めて実行しなかった連中が、この小グマに目をつけ買取を求めてきたが、(中略)金儲けのために子どもたちの夢や、友人の心の結びつきに傷はつけたくないということで拒否したところ、地元のアイヌ団体を通じて「和人がクマを飼うことは問題である…」等の横槍もあった。このことで嫌気のさしたT君が『手を引く』ということで(ミル公の)購入代金の半金のT君に支払い、ミル公は私の個人所有となった─

 

この熊祭を企画した興行師は、協賛金等を地域から搾取して肝心の興行は理由をつけて行わないイカサマであったらしい。ここでミル公の存在はおいしい話であり、小グマを手に入れるための嫌がらせが幾度かあったようです。

 

ミル公が帯広に来てから二ヶ月余、次第に大きくなるにつれ、幼い子ども達にとって危険と言うこともあり、ミル公は大通の店頭から、東4条にあったKの自宅に移された。
その頃から、ミル公を将来どうするかが私自身の悩みとなり、解決方法として札幌の動物園に寄付を申し出たが、動物の食糧を確保できる見通しがないので申し出に応じられない」とのこと。

 

ミル公の将来を懸念したものの、ゆとりの少ない時代は、この状況に逆風であったようです。そして、できることなら避けたかった決断に至りました…

 

epitapeこの際、帯広で春に行われたインチキ熊祭でなく、本当の熊祭を無料でやってみることも、社会教育に役立つのではないか、費用は全額自己負担で…と思い立ち、実行団体として「中札内小学校同窓会」を選んだものです。
同窓会の役員会も、「よし、引き受けた」となったものの、一つの反対運動が生じた。それは春以来ミル公の売り渡しを強く求めてきたグループ。「シャモが熊祭を行うのは邪道だ。」と、アイヌの人達と組んでの行動でした。
しかし、このグループに反対の音更のアイヌの人達15人が、私共の行動を支持してくれ、ついに24年9月5日、中札内市街西側恵津美川沿いの草地で熊祭を挙行することになったものです。

ミル公は8月20日、中札内の私の家にやって来ました。(途中、愛国付近でトラックが転倒したがケガもせず、無事)
それから2週間ミル公にとってもっとも楽しい日々であったかもしれない。毎日、一度は恵津美川での水浴、木登り。しかし夜になると、母を呼ぶかのように吠えるその声はもの悲しく、胸につまされるものでした。小さくても、野獣の王。
その遠吠えを聞いて近所の犬は全て尾をたれて小さくなっていたものです。

miru029月5日、反対派の行動を警戒して、15人のアイヌの人達の広尾線乗車を円滑にと、帯広署から数名の警官が帯広駅に…。また、国鉄にも客車2輌を増結。地元での警備には、広尾線沿線駐在巡査と地元消防団。
観衆約5千人の見守る中で、アイヌ古式による熊祭が行われたのです。(当時の中札内村人口は5千人)

熊送りの儀式の後、ミル公の亡骸は恵津美川の現在地に埋葬されました。(後の道路拡幅橋の架け替え工事により現在碑の場所へ移転)
このことを機会に、ミル公の剥製を…ということになり、北大に依頼して作られたのが現小学校(中札内小学校)のミル公である。
費用は同窓会負担1万2千円位であったと思う。ケースは私の兄が寄贈したもの。ちなみに、熊祭には総額1万5千円程の自己負担となったと記憶している。
ミル公が死んでから30年。人生締めくくりも必要と考えて作ったのが現碑。昭和54年9月、当時の村長や道議、そして帯広でミル公と遊んだ人々等、30名出席の下で除幕。法要が行なわれた。

中札内小学校へ

ミル公の生涯はとても短いものでした。

世が世であれば、動物園で子どもたちに元気な姿を見せることもできたのでしょうが、帯広動物園の開園は1963年(昭和38年)7月13日。ミル公昇天の年から、まだ10年以上先のこと。

それに山へ返すにしても、独り立ちさせるにはしのびない小熊。

『苦渋の決断』といっても自責の念はなかなか消せるものではない。その心の現れとミル公を愛した人たちの想いにより、冒頭の『全国でただひとつのクマの子の墓』が作られました。

後年、ミル公の生涯は『子グマのミル公物語』の名で紙芝居(文・吉田勇治 絵・小口修二)が制作され、現在でも中札内村内各保育所・小学校等での読み聞かせ学習に利用されています。(全文は中札内村村史および地元学ふるさと叢書第五号 小熊の「ミル公物語」に掲載あり 中札内村・帯広市の図書館で閲覧可能)

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ミル公の剥製が寄贈された中札内小学校でのPTA広報誌の紙名は『ミル公』。

静かに街の片隅に佇む小さな物語は、決して色あせたのではなく 中札内村の彩り鮮やかな街並、そして豊かな大自然の大地で同じように輝き続けることでしょう。

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ところで、小学校に寄贈されたというミル公の剥製はどうなっているのでしょう?

引用の『子熊のミル公物語』 誌面の写真では昭和54年。今年はミル公昇天から65年。画像の年からも35年経過。もしかするとすでにミル公は…

 

この締めくくりに、それを確認してみたいと中札内小学校を訪れました。

現代的でミュージアムのようなエントランスを持つ校舎。私が通った時代の小学校とは印象がまるで違います。(それでも変わらないのは、子どもたちの元気の良さ!)

miru03

ミル公は、子どもたちの声が賑やかな1階の一角にあるガラスケースの中で、写真で見たものと同じポーズでスックと立っていた。

子グマと言えども大型犬並みの大きさ。でもあどけなさも感じる表情は子グマに違いない。

博物館や郷土資料館などで展示されているものは、威嚇的で牙をむき出しにして、いかにも『野獣』といった姿に仕上げられますが、ミル公は、生前の様子そのままに仕上げられたようです。

じっくり見ると、子グマにしては、心無しか毛並みに色あせが進んでいる様子。でもそれは色が抜けてきたというよりも、ここでズッと年を重ねてきた… そんな風にも思えるのでした。

 

『ミル公』の剥製は、中札内小学校にありますが、広く一般に公開されているものではありません。

 今回、急な訪問にも関わらず、快く対応していただきました中札内村立中札内小学校の校長先生、および教頭先生へこの場を借りてお礼申し上げます。

 おかげさまで『ミル公』と念願の出会いを果たすことができました。

 特に校長先生は、郷土の歴史に理解と見解が深いとお察しする方で、こちらも教えていただいたこともたくさんあり、感謝の気持ちです。

 折しも、この日は子どもたちが学校農園で栽培した大きなジャガイモの分類て・袋詰め作業の最中で、翌日から道の駅『なかさつない』で生徒たちが販売するのだそうです。

 村を愛し 郷土を愛し 収穫の喜びも分つ子どもたちの姿は、人として私よりもひと回り大きく感じさえしました。

 

 

もし、ミル公がこの時代に生まれていたら…

…それは考えないでおきましょう。

 


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