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ワンダーFULL TOKACHI File.7  屈足の巨人

 genketop

屈足の巨人(新得町)

国道38号線。
自動車道路の標高が644mの狩勝峠から十勝への最初の町が新得町
ここは道東の鉄路の玄関口であり、北海道の重心のある町としても知られています。
JR新得駅の前に「北海道の重心地」がおかれていますが、実際の重心地は新得北部の字屈足にあり、そこは十勝岳の東側になります。(東経142度49分40・北緯43度28分02)
ちなみに富良野市「北海道の中心」とされていますが、これは北海道本島のみで計測した場合です。
ところが国土地理院公表の北方領土を含めたものでは、新得町に中心が移動することになるという。

狩勝の道のはじまりは、旭川から釧路へ鉄道を通すためのルート踏査を行った再北海道官設鉄道の鉄道敷設部長の田辺朔郎氏がルート(旧線狩勝高原線)を決定したときに旧石狩国・旧十勝国から一文字ずつ取って命名しました。
 1927(昭和2)年、この峠から十勝平野を眺望した風景が『日本新八景』の「平原部門」に選出されています。
狩勝峠を降りると左手に佐幌高台を眺めながらも峠の展望台から眺めた十勝特有のパッチワークを敷き詰めたような景色が広がっていきます。

 

新得町

町名の由来はアイヌ語の「シットク・ナイ」「山の肩」あるいは「山の端」といった意味になります。他説にアイヌたちがお酒を造るための漆器を「シントコ」と呼び、これを作るための土地が現在の新得町だったとも伝えられている。
町の総面積は東京都の約1/2の1,064平方キロメートル。約90%を占めるのが森林地帯で、そのうち83,690ヘクタールが国有林。さらにその2/3は大雪山国立公園に指定されているなど大自然を抱えている町です。
 この豊かな大森林から流れ出る清流を溜めて使う発電所が町内に6つあり、その総発電量が130,020キロワット。
十勝管内はもちろん札幌、釧路方面へも送電しています。

 産業は、豊富な森林資源を活用した林業と酪農・農業が中心で、農業では「そば」の栽培も盛ん。昼間は温かく夜涼しい気候がそば作りに適しており、特産地では信州が有名ですが、生産量は圧倒的に北海道が多く、新得町は年間145.6トンになります。
高品質の「そば」製造の努力により、平成元年 新得のそば生産農家に第1回全国そば生産優良経営表彰が授与され、平成11年度には団体の部で最高賞である農林水産大臣賞も受賞。名実ともに日本一の評価を得ました。

 十勝を縦断する十勝川は、新得の北西に位置する十勝岳近くに源を発し、多くの支流を集めながら南東へと流れ、中川郡豊頃町で太平洋に注いでいる。
市街地は道東の鉄道の玄関口「新得駅」を中心とする新得市街と東方に屈足(くったり)市街があります。国道38号線を市街地付近から道道75号線へ入りプチ峠道(佐幌高台)を越えて約7㌔ほど…

屈足ガンケ

その途中、屈足市街手前の高台から広がる景色の先に不思議なものが目に入ります。
緑の景色の中にぽっかりと1か所、山肌がえぐり取られたように土砂が露出して白っぽくなったところがすぐわかります。
どう見てもあれは「がけ崩れ」の跡? 土砂採掘場の様子と言う感じでもない…
ギザギザした歯のような感じもして山が牙をむいているようにも見える。

 その場所は「ガンケ」と呼ばれている。アイヌ語が語源ではなく「崖」が訛って「ガンケ」になったと思われる。
他町村でも人工的に山肌を削ったのではなく、高台の突端が崩れて露頭がむき出しになった場所は、ほぼ「ガンケ」と呼ばれているようです。
地盤が不安定そうで少し危なっかしい印象もありますが、屈足市街の東を流れる十勝川の対岸にあり、その崩れ方は降雨等により徐々に拡大はあると思われますが、どんどん広がっていく…という様子は、あまり感じません。
 土地を留守にしていた人が帰ってくる時に高台からこの「ガンケ」が目に入るところで故郷を実感するというほどに、この景色は土地のシンボルのようになっているようです。
 この「ガンケ」は、山肌の一部ではなく、向こう側は、平らな地形がしばらく広がり、また別の高台に行きつく。これが十勝ならではの「河岸段丘」と呼ばれる景色。その高台の際に「ガンケ」は位置している。

河岸段丘

河岸段丘(かがんだんきゅう、river terrace)
 河川の中・下流域に流路に沿って発達する階段状の地形。河成段丘(かせいだんきゅう)と呼ばれることもある。
 平坦な部分と傾斜が急な崖とが交互に現れ平坦な部分を段丘面、急崖部分を段丘崖と呼ぶ。段丘面は地下水面が低く、段丘崖の下には湧水が出ていることが多い
十勝は1700万年ほど前に北米プレート上にあった道東の島がぶつかり、日高山脈と白糠丘陵が押し上げられたことで間が湾状になりました。
始めは平らな平野でしたが火山灰の多い軟質地盤のため、川が容易に地面を削っていきます。
段丘形成は、侵食基準面(河川の侵食作用が及ぶ限界の高さ)の変動がその形成原因です。
河川による侵食が進み、河川勾配が侵食基準面に近付き侵食力が弱まると、段丘崖の下に新たな谷底平野が形成される。
侵食力を失った河川が隆起や海面低下などにより再び下刻(河流が川底の幅を広げるのではなく川底を低下させる働き。下方浸食)を行うと、それまでの平野内に侵食形成された川谷に新たに狭い川谷が形成されていきます。
こうして谷底平野は階段状の地形として取り残され、河岸段丘が形成されます。言わばこの大地は、長い年月が創りだしたレリーフなのです。

 

十勝平野

 日高山脈と大雪山系に囲まれた十勝は太古の昔、地殻変動により海から閉ざされてできた潟湖(せきこ)や湿原が続く土地であったという。
やがて火山活動が活発になり、火山灰が降り積もり、その灰を河川が下流へと押し流し、大地が拡大されました。
さらにその大地を河川が削り「河岸段丘」を形成しましたが、かつて海だったというこの広い十勝を大地に変えるほどの火山灰の量はいかほどのものだったのでしょう。
クッタリガンケ(十勝川左岸火砕流大露頭)
 十勝岳火山郡を水源として南に流れる十勝川は新得町岩松から屈足付近にかけ、流水が大地を侵食して造った川岸を見せている。
 もっとも大きなものは27号付近の対岸で、この大露頭を地域住民は一般に「ガンケ」と呼んでいる。
 その高さは100m余りあり、この周辺の上流から下流にかけての露頭は東岸約1~2㎞にわたって断続している。
 この露頭の地質は、軽石を含む溶結凝灰石の堆積物が茶褐色の礫層に覆われており、大きく4層に分かれている。地質時代的に見て大規模の火砕流が4回にわたって堆積したのではないかと考えられている。

(平成15年 新得町郷土史研究会発行「ふるさとの伝承」より)
 

驚くことに、この露頭の高さの大部分が火山噴出物の堆積物なのです。
火山灰の堆積した地層は、屈足のほかにも足寄町の芽登(めと)・士幌町の旭清水町の協心・御影などにも同じような火山灰堆積地があります。
これほどの火山灰を降らせたその源はどこであったのか…なのですが、十勝岳等、いくつかの説がありましたが場所によっては噴出元は長らく謎とされていたそうです。

 

意外な噴出元

平らな十勝三股 

ここで舞台は新得町から上士幌町へ移ります。

カルデラと言われる三股の風景 戦中から戦後にかけて、東大雪の膨大な森林資源を活用するため上士幌町でも林業が盛んになりました。
 初期の原木の搬送は主に音更川に(せき)を設け、原木と川水を1か所に貯めてから堰を一気に開けて鉄砲水状態で下流へと流す流送という手段が取られていました。(針葉樹は水に浸かっても商品価値に影響がなかったという)
 その後、国鉄士幌線が延伸され、流送は鉄路の陸送にとって代えられました。士幌駅を含め沿線駅にはたくさんの原木が摘まれた貯木場があったそうですが、旧国鉄士幌線沿線の現場は畑になったり、元の山に戻りつつあるようです。
 終点駅「十勝三股」からは、国鉄とは別に森林鉄道が敷設され、岩間の奥地から大量の原木が搬出されました。
 十勝三股は林業を生業とする人とその家族で、ピーク時には1000人もの人口があったという。
 しかし、この地は森林資源の枯渇、林業の衰退により人口が流出。糠平=十勝三股間の運行がまず廃止され、人家は数えるほどしか残らず、平らな高原に変わっていきました。
現在の立ち木の少ないだだっ広い景色は、街を作るために整地した名残と感じていましたがそうではなく、この場所こそが十勝の広域にに大量の火山灰を降らせて十勝野の元を形成し、屈足ガンケやその他の大火砕流の痕跡を残した火山だったのです。

大噴火した十勝三股

三股火砕流流入図

十勝三股 旧森林鉄道機関庫

 およそ90万年前、十勝三股のあたりには火山がありました。
 あるとき非常に大きな噴火をおこします。湧き上がってくるマグマの粘り気が強く、山体を砕くほどの破壊力の爆発的な噴火(マグマ内の二酸化ケイ素の割合が多いと粘り気が出るためガスが抜けにくく大爆発しやすい)を誘発しました。
空高く噴き上がった火山灰や軽石は、噴煙が崩れるとともに高温ガスと共に山の斜面を流れだしました。これが火砕流です。
 谷を埋めたてながら下る火砕流は、西は十勝川に沿い、東は足寄町芽登から士幌川沿いに南下。置戸町側への流れもあったという。
十勝を南下した火砕流は、現在の帯広市、あるいはその先まで流れていきました。
 数回の大噴火で十勝三股の火山は陥没し、大きなカルデラ(火山活動によって生じた輪郭がほぼ円形のくぼ地)が残されました。
そこに水が溜まって湖にだった時代もあったと推測されますが、そこに土砂が溜まって後の十勝三股の地形となった。
考えてみると噴火口の上に1,000人の人口をもつ街があったということになりますね。

 一時は、出所不明だった各地の火山灰は、近年の研究により灰の成分の分析により一致が確認され、噴出元も十勝三股にあった火山であることが確認されました。
三股大火砕流が残した灰の総量は80立方キロメートルにも及んだということです。
 帯広市のグリーンパーク(およそ8ヘクタール)を器に例えるとすべての灰を入れ切るには1,000キロメートルの深さが必要になるという計算。
これを十勝全体(約108,000平方キロメートル)に均しても厚さは7.4mになるそうです。(゜Д゜ )

火砕流堆積物の高さ

これを知ると「屈足ガンケ」やっぱり少し不気味ですね。
このガンケから上流へ数キロ遡ると屈足ダムとそれによってできた屈足湖があります。
溜めた水を高台沿いに掘られたトンネルから下流の熊牛発電所まで誘引して発電。
ダム湖前にある屈足温泉の駐車場から望む対岸、ここにも火砕流の痕跡である露頭を見ることができる。

この付近は古くから「カムイロキ」と呼ばれ、やはりそら恐ろしい言い伝えが残っています。

カムイロキの由来(新得町屈足34号)

カムイロキ大露頭

 アイヌの伝説に語られる「カムイロキ」は、神聖な場所であり、人が近づいてはならぬ場所であった。(クマの越年する所、すなわち神の居所)
 松浦武四郎(1818年-1888年 江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家、浮世絵師。雅号は北海道人(ほっかいどうじん)。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。)
の記した「十勝日誌」にも「若者がそこにあるという穴に向ったが、戻ることはなかった。その息子もまたそこへ向ったが、やはり戻ってこなかった」とい言う伝説の記述がある。

屈足湖 

またこうした伝説もある。

屈足ダム水門 カムイロキには、フレウ(フリイカム)という巨鳥が住んでいた。フレウは毎日遠く海まで行って、鯨や魚類を穫って食べ、その食べ残しや骨を、山のくぼみに投げ散らかしていたが人間に対していたずらをすることはなかった。

 ところがある日のこと、フレウがいつも飲み水にしていた綺麗な流れの小川を、メノコ(アイヌの娘・女)が渡ろうとしていたのを見てフレウは大変怒り、そのメノコを咥えてカムイロキに連れて行き、そこへ投げ捨てた。
 そのあとフレウは「こんな汚された所にはいられない」と、そのまま遠くへ飛び去って戻ることはなかった。

 そのまま絶壁のに残されたメノコは、帰るに帰られず、フレウの食べ残した骨などをしゃぶっていたが、それっきりどうなったか分からなくなってしまった。

 それから数年後、一人の若者が熊狩りに行き道に迷い、鯨の骨などが散らばっているところを見つけて進んで行くと、ふしぎな女が現れ「連れていってくれ」と言った。
気味が悪くて一目散に逃げ帰ったものの、若者はそれから間もなく病気にかかって死んでしまったという。
 それ以来コタン(アイヌの部落・村)の人たちはここを「ウェンシリ」と言うようになったが、そこには今も、フレウの棲んでいた穴が残っているという。」

(アイヌ民話より)

 

このように、屈足ガンケの一角であるカムイロキは、アイヌ人が発見し、松浦武四郎によって世に知らしめた地名であり、いろいろな言い伝えの中に存在し屈足に住む人々ばかりでなく新得町全体のシンボルでもある。

しんとくの史跡・新得町郷土研究会発刊(平成6年)より一部要約

幹線道から望むガンケ

 いつも遠巻きにしか見たことのない「ガンケ」まで行ってみることにしました。
いざ向ってみると、すぐそこに見えるにも関わらず、最も近くに行くルートが定まらない。(。・ω・)
あちらこちらへと走って、近くなったり遠くなったり。そうしているうちにようやく数百メートル近くまで寄ることができました。
さすがに川の向こう側へ渡るのは無理っぽいし、こちら側は雑木で覆われて様子を伺うことができない。
もしクマがいても嫌なので堤防から眼前のガンケを眺めることにする。

ガンケパノラマ

大きい!
近くまでくると、かなり高い崖であることは一目瞭然。
この露頭の大部分が大火砕流の堆積物。

 遠くから眺めた時にも少し感じていましたが、その雨風に浸食された部分がなんとなく人の形に見える…
火山灰が固まった容結凝灰石の色も相まって、写真集で見たインドの「アジャンター石窟」やアフガニスタンの「バーミヤーン石窟」の岩盤に掘られた巨大な仏像に似た印象。
柱状に立つ固まりは円空の彫った菩薩像のようなイメージすらしてきます。
町を見守る菩薩像みたいに…

そう思うと三股大火砕流の置き土産が正体であるこの屈足ガンケにも優しさが見えてくるような気がしました。ヽ(*´∀`)ノ

 屈足ガンケ02

※屈足ガンケの付近は一部私有地であり、エゾシカ除けのフェンスも張られています。農作業車の通行、一部ネイチャーロングトレイルのコースに使われている路線もあるため、景色に気を取られ過ぎませんように

 

屈足湖から「カムイロキ」を眺めるカヌーや渓流のラフティングなどネイチャーツアー楽しめる「TACとかちアドベンチャークラブ」十勝の楽しみは川にあり!十勝川で遊ぶ!「TOM 十勝アウトドアメイツ」 をどうぞご利用ください。

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  1. 3年前から、屈足に移住し十勝を堪能しています。
    偶然こちらの記事を拝見し、大変勉強になりました。
    ガンケは毎日でも見えるところが住まいですが、
    こんな神話があったとは知りませんでした。

    これからは、ガンケを見る目も変わってきそうです。
    ありがとうございました。

  2. そうすると必然的に原価や経費も管理・チェックする必要が出てきます。

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