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小さな国語塾のつぶやき

テコ入れ

先日、保護者から「先生、かなりテコ入れしましたね~!」とお褒めの言葉を頂いた。「テコ入れ」と言われて初めて「そういう立派な表現があったんだああ」となんだか目からうろこだった。警察小説が好きな自分にとって「~入れ」というと「ガサ入れ」「思い入れ」「肩入れ」といった少々怪しげな言葉しか思いつかず今回に関しても「肩入れ」をしていたという自覚はある。何はともあれ生徒に力がついてきたことは嬉しい限り。さて「テコ入れ」とは【(1)相場の勢いを人為的に操作すること。特に下落を食い止めること。(2)不振を打開したり弱い所を強化したりするために外部から援助すること。(大辞林第二版より)】。テコとは「テコの原理」の「テコ」=梃子のことで重いものを持ち上げるときに、棒をその物の下に差し込んで持ち上げることなのだけれど・・・小学生時代に習ったテコの図が脳裏に浮かび「あれ?もしかして少しの力で思い切り持ち上げた?」☞「こちらがかけた力以上に飛躍的に伸びた?」と思わず考え込んだ。まあ、結果オーライなので良しとしよう。さて、「肩入れ」とは【(1) ひいきすること。力を貸すこと。支援。(2) 着物の肩の部分を別の布で、はぎ合わせること。また、その布。(デジタル大辞泉より)】個人的には「ひいきする」というよりもどんな風に指導したらよいか?どの教材を使えばよいかと必死で工夫して力を貸したという感じ。「なんとかしなくては」という執着ともいえるぐらいの「思い入れ」があったのは間違いない。ただし、階段を一段一段上がっていったのではなくピョーンとテコによって一時持ち上げられただけとするならば☞しばらくすると落下・・・というのが一番怖い!階段を使わずに一気に跳ね上がったかもしれないけれど、高台にきちんと着地してそのまままっすぐ歩いてほしい!と切に願うばかり。いやいや「テコ入れ」という言葉が意味するように「弱いところを強化するための外部からの援助」はしたけれど、それに必死でくらいついて頑張ったのは生徒本人。一段一段が高い階段を上る際に後ろからおしりを支えたんだ!つまり楽してピョーンと一気に跳ね上がったわけではないと思い込もうとしている。その審判が下るのは・・・あと1、2か月先。なんとか良い結果になるよう期待している。

2018/01/21 03:18

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嬉しい、楽しい!

昨日、「合格」という嬉しい報告が!トップバッターで合格を勝ち取ったのはスポーツ万能で勉強もコツコツと頑張るY君。得意のスポーツを高校入学後に本格的にやりたいとのことで、スポーツ強豪校の推薦入試を受けた。先にも書いたけれど勉強のほうもコツコツと頑張るタイプなので成績の心配もなく「受ければ受かる」と思っていたけれどやはり「合格」の言葉を聞くまでは安心できない。何はともあれ早々に「合格」の報告を聞くことができて本当に嬉しく、この仕事をしていてよかった~~~と思える瞬間だ。また、昨日から国公立の2次試験に向けての小論文対策が始まり最高に楽しい!!初回の授業だったので今までに書いた小論文や小論文の試験などをすべて持参してもらった。それらを見ると最初に比べてとっても上達していること、学校できちんと「小論文の書き方」を学んでいることがよく分かる。では、なぜわざわざ国語塾に?と思いきや①受験する学部が「専門的」な分野のため一般的な社会情勢などではなく一風変わった内容を問われる。②小論文の外部テストではABC評価でBであること。つまり、悪くはないのだけれど、あと一歩・・・・。この2点の理由から学外での勉強を!と依頼があった。さて、外部テストに関しては講評ではあまり悪いことは書かれていない、誤字脱字もほとんどない・・・。一体どう書けばA評価をもらえるのかは本人にはおそらく分からないだろう。結論を言うと「作文と小論文の中間」的な文章だったので評価はBに。そんなこんなで、どのように書けばれっきとした「小論文」になるか?についてを指導した。それにしても小論文をはじめとして文章を書いたものを評価するということはとっても難しい・・・。なぜならきちんとした答えがないから。とはいえ、読書感想文の審査にておいては「最優秀賞」の作品はほとんどの審査員で意見が一致して意外とスムーズに決まるのだ。つまり「文章作品」のはっきりとした明確な答えはないとは言いながらも「心に訴える」内容や書き方はある。小論文に関しては「テーマに沿っているか」「自分の意見が述べられているか」が大切で、それらを相手にうまく伝える練習が必要となる。答えは一つではないけれど「おおまかな答え」というものがあり、そういう漠然としたものをいかに教えるか?という部分に教える楽しさがある。昨日は本当に「嬉しい」「楽しい」の両方を経験できてありがたい限りだった。

2018/01/20 02:20

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「流水濁らず、忙人老いず」

「流水濁らず、忙人老いず(りゅうすいにごらず、ぼうじんおいず) 」という言い回しがある。意味は「忙しく動いている人は年をとらない、老いない。流れのある川は水がきれいだが淀(よど)んで流れない川は濁る。」で言葉通りだ。昨日ふとこの言葉を思い出すと同時に鴨長明の「ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水にあらず」という方丈記の一節も思い出した。こちらは、川の水の流れは絶えることなく続いているように見えるが、よく見ればそれは決して同じ水ではなく移り変わっている。一見恒常的で不変に見える川の姿に世の中の「無常」「転変」を見るのである。長明は人や人の栖(すみか)もまた移り変わりの無常であり、川の流れと同じだといい「朝に死に、夕に生るる習ひ、ただ、水の泡にぞ似たりける」と続ける。正直言って濁らないように!と張り切って動いて失敗し、そこに至るまでの努力が「水の泡」になってしまい「無常観」を味わうことになるかもしれない。それでも自分自身は「流水濁らず、忙人老いず」と実践していきたいと強く思う。なぜなら…単なる飽き性だからか(笑)?!昨日の午前中に今後の仕事の方針のことで経営コンサルタントの方に相談をした。自分なりのヴィジョンを伝え、それについてのアドヴァイスを頂く予定だったけれど結論を言うと「素晴らしい」「よく考えてますね」「その線で行きましょう」という有難いゴーサインのみだった!バンザーイ!!!残りの時間はお互いに経営の話などなどで大盛り上がり・・・。とはいえ新しい試みに挑戦するにあたっては資金(そもそもコンサルト代はすでに投資)、時間、その他もろもろという準備が必要で、形になるには早くても1年・・・。とにもかくも3年以内には軌道に乗せようと企んでいる。老いている暇なんてこれっぽちもない!常に動いていても若者たちの流行のスピードには到底ついていけない、ましてや一か所にとどまってじっとしてるならば完全に置き去りにされてしまうだろう。はかない?人生。常に「現状に満足」することなく新しい挑戦をしていくほうが楽しいかなあとワクワクしている。

2018/01/19 03:43

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猫を被っている?!

今年は戌(いぬ)年だけれどペットフードメーカーの業界団体「一般社団法人ペットフード協会」が去年12月22日に、全国の犬と猫の推計飼育数を発表した。猫が953万匹(前年比2・3%増)に対し、犬は892万匹(同4・7%減)。1994年の調査開始以来、初めて猫が犬を上回ったそうだ(ネットニュースより)。自分自身は猫も犬も飼ったことがないけれど個人的にはどちらも可愛いと思うし、どちらがいいか悪いかはない。でも実は・・・自分自身は実は「猫を被っている」!ことが判明。自覚はあったのだけれどズバリと指摘されると思わず苦笑い・・・。さて、「猫を被る」とは「本性を隠して大人しそうに見せることや、知っていながら知らないふりをすること」。ではなぜ「犬」ではなく「猫」なのか?実は普段とても大人しくて静かな動物の猫はれっきとした「肉食獣」なのだ。そんな本性を隠して大人しい猫のように振る舞う・・・。このような意味で「猫を被る」という言葉が使われるようになったそうだ。ちなみに自分自身が「猫を被っている」とはどいうことか?ブログ上ではりエラソーな、時には難しそうなことを言っているけれど実生活では全くと言っていいほどこういう発言はしない。それゆえにブロ友様たちと会うチャンスに恵まれると必ず「え~~?!ブログの印象とは全く違う!」と大笑いされる。さらに言うならば「陰陽師」というハンドルネームを使っているには理由があり…実は人並外れた直観力、インスピレーションを保持しているけれど流石にそれを日常的に出すと周囲からビビられるので封印?している(☜仲がいい人は知っており、真剣に怖がられている…笑)。年末に受けた声紋診断の結果や詳しい解説が先日送られてきて「直観、インスピレーションをものすごい持っている。いわゆる第三の目や第六感という感覚です。しかも論理的思考をする能力をかなり持っているけれど日常生活ではあえて封印しているようです。」というコメントにはぐうの音が出なかった(汗)。とはいえ、自意識過剰はよろしくないと?毎回重大な決断をするときは「直観→論理的に意味づけ→メンターに意見を伺う→行動」というパターンを実践している。大半が当初の直観通りになるのだけれど。つまりは一応このブログが本性で日常は猫を被った状態?「どんな人」と興味がある方はぜひぜひチャンスを見つけて一緒に勉強しましょう!今年はZOOMを使っての指導、講演会など前向きに検討中。

2018/01/18 13:25

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「字」や「名前」の持つ力

個々人の名前や商品の名前には名付ける側の様々な想いが込められており、字を見た時の印象や聞いた時の響きによって他者が何らかの印象を持つことが少なくない。また有名な文学作品や漫画における登場人物と同じ名前だと、どうしてもその既存の登場人物などの印象が強くなる。知人が自分の息子に「太郎」という字を使った名前を付けたいと希望しており、専門家に名字とのバランスの良い画数を見てほしいと依頼したところ・・・なんと「桃太郎」がいいと言われたそうだ。さすがに「桃太郎」では昔話のイメージが強すぎるため結局は画数云々をあきらめて「太郎」という名前を入れることのみを優先して自分たちで名付けたとか。ちなみに自分自身はというと仕事上では本名とは別のビジネスネームなるものを使っており、それは「出藍の誉れ」を理想としている+画数から名付けた。「出藍の誉れ」は教育関係に携わっている人ならば多かれ少なかれ、望むことだろう。ちなみに「字」や「名前」の持つ印象を生かして小説における登場人物は名付けられるのだろうけれど、人物の持つイメージに左右されたくない場合はイニシャルで著すという作家もいる。有名なのは星新一氏。作中の登場人物に多用される「エヌ氏」や「エフ氏」の名前は、星新一作品の代名詞ともいえるだろう。すべて境遇、立場などが違い同一人物ではないと考えられる。かくいう自分自身はというと書くときはもとより日常会話においてもイニシャル・トークを頻繁に行っている。あまり深く考えたことはなかったのだけれど「大人のための言い換え力」(石黒圭著 2017.12.10初版発行 NHK出版)、P109に興味深い文章を見つけたので少し紹介する。【「A先生」「某店長」などの言い方を選択するのは、第三者に聞かれた場合に困るというよりも、本名を出すと話しにくい心理的な抵抗感があり、それをイニシャル・トークにすることでその人の話題について話しやすくする効果があると考えられます。】(引用終わり)。確かにそうかもしれない・・・。別に第三者に聞かれたら困るような内容(悪口など)は基本的には言わないし・・・。たかが名前、されど名前、字や言葉の持つ力は侮れない?!

2018/01/17 15:09

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「牧家(ぼっか)bocca」

「掛詞」とは、主に和歌にで用いられる修辞法のひとつ。発音が同じまたは似た言葉に、2つ以上の意味を持たせるように使う。掛詞が使われている有名な和歌としては「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」【小野小町(9番) 『古今集』春・113】がある。意味は「桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。」で【世にふる】の「世」は「世代」という意味と「男女の仲」という2重の意味が掛けてある掛詞。さらに「ふる」も「降る(雨が降る)」と「経る(経過する)」が、「ずっと降り続く雨」と「年をとっていく私」の2重の意味が含まれている。また【ながめせしまに】 「眺め」は「物思い」という意味と「長雨」の掛詞で、「物思いにふけっている間に」と「長雨がしている間に」という2重の意味となり、そういうことを知ってこの歌を鑑賞するとますます味わい深くなる。さて、北海道といえば「食べ物王国」!農業、酪農、漁業のどれをとっても盛んで本当に何を食べても美味しく、素敵なお店がたくさん!先日、北海道自慢をしようと思い友人に「牧家(ぼっか)」という会社のスイーツを送ったところ、お礼のメールとともに興味深い情報が。牧家のパッケージには「bocca」という表記もあるのだけれど、むろん陰陽師はそんな表記はスルー。何気に「ああ、ローマ字表記?」程度で終わっていた・・・、友人はイタリア語を習っているため「bocca(ボッカ)」がイタリア語だとすぐに分かったそう。実は「bocca(ボッカ)」はイタリア語で「口」という意味をあらわすそうだ。つまり「牧家」を「bocca(ボッカ)」と表記することによって「牧の家」(酪農の家が作ったおいしいスイーツ)的な意味と「口」(おいしく食べてほしい)という意味が込められていたというわけ。それを知って思わず「へ~~~っ!面白い!よく考えられたネーミング~~~」とただただ感動した。嬉しくなって試しに「bocca(ボッカ)」について辞書で調べてみると結構面白い表現がいくつか紹介されていた。例えば「In bocca al lupo!」(lupoはオオカミ)これは「幸運を祈るよ!健闘を祈るよ!がんばって!」っていう意味だとか。受験生をはじめとして、何かに挑戦する人、むろん自分に対して「 In bocca al lupo!!!!」

2018/01/16 20:26

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「絶体絶命」「必死」

公立高校を目指している生徒たちに過去問演習をさせたところ・・・某生徒は四字熟語(2問)全滅!思わず手持ちのテキストを開かせて「ほらーっ、ここに載っているでしょう?!」とガツンと言った。なんだか嫌な予感がしたので中3生全員に「五里霧中」と「絶体絶命」を書くように指示したところ、「五里霧中」は全員正解したのだけれど「絶体絶命」に関しては半数が「絶体」を「絶対」と書いてしまった・・・。あーあ。確かに「絶対絶命」☞「絶対に(確実に)人間は絶命(命を落とす)」というのは真理だけど「絶体絶命」とは意味が違う!と伝えた。「絶体絶命」とは「逃れようがなく進退きわまった状態」をさし「絶体」も「絶命」も星占いの凶星の名前で運が極まり破滅する星回りと言うそうだ。さて誤字だけれど「絶対絶命」☞「人間は確実に絶命する(命を落とす、死ぬ)」という言葉から「必死」という文字を思い出した。以前に誰かが「必死」という言葉は「人間は必ず死ぬ」☞「だからこそ死を意識すると『今』を大切に生きるようになる」的なことを言っていたから。本で読んだのかネットで見たのかは忘れてしまったけれど、確かに「人は必ず死ぬ」ということを意識すればボケーっとしているのはもったいない。もしかすると明日には不慮の事故で亡くなるかもしれない、そう考えると「今」を大切に生きる=必死になるだろう。とはいえもしも余命数か月と言われたとしても何か特別なことをするわけでもなく(あえてするとすればお世話になった方々に挨拶状を書いたり、実際に会いに行くぐらい?)淡々と「今」を必死で生きるだろうなあと思う。さて、先日HPの管理をお願いしている方に数か月振りに連絡をした際にその方の今年の新しいヴィジョンなるものを知ることになった。かくいう自分自身も今年は新しいヴィジョンを持っておりそのことを相談すべくして連絡をした次第。もしかするとヴィジョンがあってもそれをやり遂げる前に絶命するかもしれない、それでも「やっておけばよかった」という後悔をしたくないからこそ「今」やりたいことを一つ一つコツコツとやっていくだけ、ただそれだけ。やりたいこと、やるべきことは人それぞれ違うけれどたとえ「絶体絶命」になろうとも「絶命」になるまでは「必死」で「今」を生きることが大切だと思う。

2018/01/15 20:23

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「制約」があるからこそ・・・

俳句と短歌の違いは?と聞かれると一般的には「字数の違い(長さの違い)」「季語を入れるかどうか」という意見が大半だろうし、むろんそれらは正しい。そういった制約に加えて明治期の俳人・歌人である正岡子規は「俳句はあるがままのものをあるがままにうつせ」という写生論で、短歌に関しては主観や時系列に描くことが可能だと言っている。2018.1.13日付の十勝毎日新聞に興味深い記事があったので紹介する。【一瞬の情景を空間的な広がりとして捉える俳句では、このような時間の流れは表現しにくい。が、短歌でなら、それが可能だ。短歌は「空間」よりも、むしろ「時間」を表現するのに適した詩型なのだ・・・。子規は自ら歌を作ることによって、そのような短歌の特質を体得していくのである。(引用終わり)】確かに、季語を入れてなおかつ17音の中に感動を詠み込むという制約の中には時間の流れをも入れるのは難しい。短歌ならば前半の5・7・5と後半の7・7で時間の経過を詠み込むことはよくあるパターンだろう。どちらが優れている、劣っているということは全くなく、結局は本人の好みで「俳句」として表現するか「短歌」として表現するかでよいと思う。ただしこの俳句の制約こそが素晴らしい作品を生み出す大きな要因になっているような気がする。また、人様からのアドヴァイスで印象に残っている言葉は意外とシンプルで短いような気がする。☜あくまで個人的に。さて、今日はセンター試験二日目、これが終わると2次試験、私立の一般入試・・・中学生にとっても私立の試験が来月には始まり、一言でいうと「時間がない」という状況だろう。でも言いたい、もしも膨大な時間的余裕があったら確実に勉強するか?と。ある意味「時間」という制約があるからこそ、この限られた時間内で何をどのようにすれば最高の結果を生み出すことができるか?と各自が工夫をすることになる。つまり制約のない状況がベストではなく、制約の中で何ができるか?と試行錯誤した者がそれなりの成果を出せるのではないだろうか?いつも「時間がない~」とバタバタ状態で常に自転車操業の自分に対する言い訳でもある(汗)。

2018/01/14 16:08

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「知過必改、得能莫忘」

「千字文(せんじもん)」の中に「知過必改、得能莫忘(ちか ひっかい、とくのう ばくぼう)」という言葉がある。「過ちを知りて必ず改むる、能を得て忘るる莫れ(あやまちをしりて、かならずあらたむる、のうをえてわするるなかれ)」。 現代語で言えば、「自分の失敗を知ったら、必ず改める。能力を手に入れたら、忘れてはいけない」という意味。【※「千字文」とは中国六朝時代の詩。一巻。梁りようの周興嗣しゆうこうし作。四言古詩二五〇句(千字)から成る。古く中国で、初学の教科書・習字の手本とされた。日本への伝来時期は不明だが、平安後期以降、漢字の習得教育に用いられた。(大辞林第三版より)】。正直言ってこれを実行できる人のことを心底、尊敬する。自分は・・・失敗を知ることまではかろうじて出来るのだが改めるのが至難の業。改めようと意識している(意識しているつもり)なのだけれど何度も何度も同じ失敗をしてしまう。言い換えると改まっていないから失敗を繰り返す。これは人生におけるあらゆる経験はもちろんのこと、勉強、習い事のように何かを身につけようという場合にも当てはまる、だからこそ自分に合った指導者に師事し常に誤りを指摘、訂正してもらい少しでも正しい方向へ向くように反復することが大切だろう。とはいえ、いくら口酸っぱく指導しても全く通じないタイプは少なからず存在し、お恥ずかしいながらそのタイプに自分も属するような気がする(汗)。国語を教えるという立場ながら別の分野に関しては人様から定期的に教わる立場にあるので、「何度、指導しても通じない…(´;ω;`)ウゥゥ」という気持ちと「その瞬間は分かってもなかなか自分のものにならない」というもどかしさの両方がよく分かる。とはいえ、常に「過ちを知りて必ず改むる、能を得て忘るる莫れ」という言葉そのものは決して忘れずに常に心の中に持っておきたい。この気持ちさえ失わなければ相手を変えることはできなくても少なくとも自分は「変わる」≒「成長する」ことができると思うから。

2018/01/13 05:37

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性格抜群の某生徒

とっても頑張り屋さんの中学生男子、諸所の事情から昨日に引き続き今日もお教室に来ることになった(振替授業)。少人数制のため、正直言ってクラスによって雰囲気が全く違うということを長年通塾している彼はよく分かっている。それゆえ「先生、明日はどんな人がいますか?」と少々不安げに聞いてきたので「とってもまじめで優しいお兄さんたちだから安心して。」と伝えた。すると彼は自分と同級生あるいは年下ではないと分かった瞬間に何人かのお兄さん達の顔が目に浮かんだのだろう。「僕、もしかしたら知ってる人かもしれませんね。今までにも一緒に授業を受けたことがあるような・・・。よかった。ところで先生!ここの教室に来ている中学生の人ってみんな本当にいい人ばかりですよね。」とポツリ。「そうだよ!本当に不思議なぐらいにいい子ばかりだよ」と言いながら内心では(そういうことをサラッと言える君こそが最高に良い子だよ~~~。)とつぶやいた。本人の前では「お上手」を言いながら、陰では人の悪口、不平不満ばかり言うタイプの人間が世の中には少なからず存在する。でも彼は全くの真逆で、本人の前では憎まれ口もたたくし(どれほど彼に茶化されたかわからない…苦笑)、学校の先生のことを「〇〇先生って怖いんですよ~。」などと言うけれど、あくまでも人の行動に対しての疑問を発するだけで決して人格否定をしたり、陰湿なことは言わないタイプ。彼のような性格の良さは「自分に存在する自信」や「自己肯定感」からくるのだろうか?もしもそうだとするならば、彼のような性格の良いタイプはどこでも、誰からでも可愛がられますます「自己肯定感」などがアップする→「性格の良さ」が保たれる・・・というよい循環になるなと。その逆は怖いけれど・・・。ありがたいことに、彼も言っているようにお教室に来てくれる生徒達、みなとっても良い子たち!今日も楽しく頑張ろうっと。

2018/01/12 16:22

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