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小さな国語塾のつぶやき

揚げ足取り

「one for all, all for one 」 一人は万人のために、万人は一人のために(ドイツの保険学者マーネスが引用した有名な言葉)がある。先日、生徒が「先生、中学校の校長先生が『one for all, all for one  一人は万人のために、万人は一人のために』を今年のスローガンにしてらっしゃって、頻繁に使うんですよ、この言葉を・・・・」に始まり「でもね、自分は思うんです。あの言葉っておかしいと。だってね、一人は万人のためにってことは受験では万人(ほかの人)が受かるために自分は不合格になれってことになりますよね。あと、マラソン大会って本来ならば順位を競うわけですが、誰か一人がお腹痛い~となって座り込んでしまったら他の人たちは座り込んでいる人を介抱するために立ち止まれってことですよね?下手するとそういうことを意味しますよね?つまり、あの言葉ってどんな場合にも当てはまるわけではないし、おかしいと思うんです。」と延々とまくし立てた。正直言って「おいおい、○○(生徒の名前)…相当ストレスフルなわけ?その発言って単なる『揚げ足取り』になりかねないよ~。そもそも、この言葉はそういった極端な場合に用いるのではなく、お互いに力を合わせ目的に向かうという意味だよ。お互いに協力し心を合わせることが大切だという精神だよ~。」と最初は呆れつつ聞いていた。が、成程「学校の先生がおっしゃること、先人の名言」≒すべて正しい」と盲信するよりも、こうして疑問を抱くことこそが素晴らしい姿勢だよなあと思い直した。そう、この姿勢こそが生徒の長所でもあるのだ。しかも彼は校長先生を批判しているわけは勿論なく、言葉に対して「すべてに当てはまるわけではないですよね」と確認したのだ。彼のせっかくの長所を否定する必要はないと思い、続きの話も興味深く聞かせてもらった。さて、先に書いた「揚げ足取り」とは「人の言いまちがいや言葉じりをとらえて非難したり、からかったりする。」と言う意味だ。長年生きて、多くの文章を書き、発言・発信すると「揚げ足取り」をされることなんて日常茶飯事で、どこからが「揚げ足取り」ととらえるかは難しいところだが少なくとも彼の場合は話を聞くと「成程・・・よく考えているなあ」と思え、「揚げ足取り」どころかむしろ「うーん、なかなかやるなああ」という感じだった。成長段階の若い世代から学ぶことが本当に多いなあという出来事だった。※明日からしばらく留守(海外へ~)にするため(☜陰陽師は本州出身、先の海外というのは厳密にいうと道外という意味)二週間ほどブログをお休み予定。その間、皆さまのブログにお邪魔することも出来ませんがご了承のほどよろしくお願いいたします。

2018/04/28 22:14

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軌道修正すればOK

今年の中3生は、学校の先生のアドヴァイスやバックアップもあって早々と読書感想文や意見文に取り組んでいる。さて、運動神経抜群で運動部で大活躍しているM君。意見文のテーマはズバリ「部活動は良いことだ」。流石に日頃から頑張っているだけあって部活動の良さは次から次へと出て来る。意見文は「反論」「反論の反論」を入れるのが鉄則なので「反論」として「部活の弊害」の意見をメモ、さらには東京都で中学生の保護者が「行き過ぎた部活」について学校側に是正を求めたという事実を反論の材料として取り入れることにした。まずはネットで「行き過ぎた部活」についての事例を調べ、それに対して自分の意見(反論の反論)を組み立てるはずが・・・ふと覗くと「僕も部活のし過ぎはよくないと思います。」「疲れすぎて何もできないのはよくない」などなど、反論の反論をするはずが反論に対する賛同の文章がつらつらと並んでいる!!!さすがにぎょっとして「ちょっとちょっと、一体君はどっちの立場なわけ?部活肯定論?それとも部活反対論?思い切り主張がブレまくり~~~!君が優しいのはよく分かるけれど、この意見文(もどき)だと『どちらの意見も分かります』と言う意見で終わってしまうよ。」と突っ込むと本人もハッと気づき、思わず大笑い!!!こちらもつられて大笑い。さて、それから軌道修正・・・初心にかえって「そもそも自分の本心・意見」は何か?を問い直したところ「行き過ぎた練習メニューはよくないけれど、適正量・時間の部活はとっても良い」という主張だと気づいた。途中で道に迷ったけれど、そこで無理して間違った方向に突き進み迷宮入りする前にスタート地点に戻ったという具合。目的地を改めてはっきりさせ(軌道修正し)スタート地点に戻ったおかげで今度はブレずに、しかも筆がスイスイと進み始めお互いにホッとした。何事も間違うのは当たり前、多く間違えたり失敗したりするからこそ学べるが、間違いに気づかず修正しないのが一番よくないことだ。自分一人だと道に迷ってしまったり、正しい方向を見失うことがある。だからこそ客観的に見て指導してくれる存在が有難く、時として耳に痛いようなことを言われたとしても素直に受け止めて軌道修正すればOK!自戒を込めて。

2018/04/27 23:10

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言葉の変遷

昨日、車を運転中にNHKラジオを聴いていると「死語」についての特集が流れていた。若い人たち(~20代?)は「はすっぱ」という言葉を知らず、「はずっぱ」はほとんど死語になっているとか。ちなみに自分自身は古い人間なので「はすっぱ」の意味は知っている。「はすっぱ」とは「女性の態度や動作が下品で慎みのないこと、また浮気で色めいてみだらな女性をいう。転じて、思慮の浅い軽はずみなこと、言動の慎みがなく、浮薄なことをいうようにもなる。」(コトバンクより)。昔から変わらず使われている言葉がある一方、死語になるものもあれば、長年にわたって意味が変化ていく言葉もある。さて、長年にわたって意味が変化した言葉の一つが「いたづら」だ。現代では「悪ふざけ」という意味で使われるこの言葉。古語では①むなしく②無駄に、となる。昨日の中学生クラスで短歌について学習し、その一つに「いたづら」が使われていたので生徒たちに紹介した。

 花の色は うつりにけりな いたづら
   わが身世にふる ながめせしまに   小野小町(9番) 『古今集』春・113

(現代語訳)桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに

いつも書いているように、現代語と古語では表記が同じでも意味が違うことが多いので要注意。生徒たちは「いたづら」が「むなしい、無駄に」という意味だといきなり言われても「???」だった。ただし「いたづら」が「無駄に」という意味は現代でも残っており「いたづ(ず)らに時間だけが過ぎていく。」という表現を紹介すると納得してくれた。ホッ。「いたずらに時間が過ぎていく」という表現は小説などによく用いられているので、読書好きのタイプは意外と自然に身に付いている言葉。日本人だからといって日本語が完璧と言うわけでは無論ない。だからこそ少しずつ慣用表現、中学生以上は古語を一つ一つしっかりと覚えていくことが大切。覚えた言葉が数年先には死語になっているかもしれないけれど、それはそれで言葉の変遷を体感できるので良しとしよう。

2018/04/26 13:29

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大変≒大きく変化

今日は月に一度のラジオ出演の日!今月から担当がM様からR様に代わるとのことで、ワクワクしながらラジオ局に向かった。全く緊張しなかったか?と言われれば嘘になるけれど、先月にR様を紹介された時に「落ち着いた雰囲気で、美人な素敵な方だなああ」という安心感があったのでワクワク感の方が大きかった。さて、M様の時は持ち時間20分のうち途中で音楽を挟んで・・・という進行、一方R様は一通りお話をした最後に音楽というスタイルで、最初「あれ?このまま話してもいいのかな?」と思ったりしたけれど、そこは相手がプロ!上手に進行して下さり本当に楽しくお話をすることが出来、ただただ感謝である。無事に自分の持ち時間を終えて帰ろうとして待合室に行くと、次の出番の方が必死で資料とにらめっこしていた。まさに「にらめっこ」という言葉が正しいぐらいの、必死の形相、オーラで「お弁当」の本を見ながらノートまとめ、傍らには「野草の本」「栄養学の本」などが積まれてあった。思わず「先生は次の出番ですか?なんだかとっても役立つ、興味深い内容ですね!」と声をかけたところ、緊張のあまりか手元のテキスト類のことではなくご自分の状態について語ってくださった。「いや~~~、もう大変です!ドキドキしてしまって・・・」と。「ラジオは初めてですか?」と伺うと、初めてではないけれど久しぶりのため緊張が強いとのこと。思わず「大丈夫ですよ~~~。スタッフが上手に進行して下さり、こちらが困ったらすぐに助けて下さいますので~~!」と伝えたものの、顔面蒼白でおろおろなさっていた。出番ギリギリまで必死で資料とにらめっこして・・・となさる姿勢は素晴らしいなあと思うと同時に、ふと次のようなことが脳裏に浮かんだ。「『大変』という字は大きく変わると書く。『大変』」という字は、見方によっては『大きく変わる』と読み取ることができる。大変な時は、自分が大きく変われることのできると時だ。」という内容。誰が言ったのか?どこで読んだのか?記憶にはないけれど、とても的を射ていると感じる。大きく変化(もちろんいい方に)するためには必ず「大変」な思い、経験をするのだ。楽をして大きく変化、飛躍する…のは残念ながら少ない?!ほとんどない?!と言いたい。「大変」な時こそ、その「大変さ」を楽しみながら大きく変化(飛躍)したいものだ。さ、今年は自分をどう変化させるか?どう変化するか?ワクワクしている。

2018/04/25 22:08

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迷子になるべからず・・・

以前にも書いたことがあるが、自家用車に「ナビ」を搭載したことがないし、基本的には今後も搭載する予定はない。理由は複数あるのだが、そのうちの一つがイメージ力を鍛えるため、言い換えるとボケ防止とも言えるかもしれない。ナビを搭載していないため初めての場所に行くまでの準備には時間がかかるし、時には迷うことも。なぜ準備に時間がかかるか?地図を何度も見てルートをイメージして頭に叩き込んで・・・を何回も繰り返すから。とはいえ、北海道の市街地は碁盤の目になっていることが多いので今では住所を聞いた瞬間におおよその場所は分かるので最近はほとんど迷うことはないが。さて、イメージ力を鍛えると書いたけれど「地図」を見ることは最高の訓練になると自負している。まず出発地点と目的地をチェックし最短のルートを地図上であれやこれやと練るのだが、これは意外と文章を書く時と似ている。文章を書く時は主張、結論(出発地点と目的地)をしっかりしておかないと支離滅裂の・・・いわゆる迷子の文章になってしまう。先日、某生徒が「区別と差別の境界線が難しい」といった主張で意見文を書き始めたのだが・・・。本人としては具体例をいくつか挙げて「この場合は自分は区別だと思うけれど、差別だと思う人もいるだろう。」「別のケースでは自分は差別だと思うけれど、立場が違えば区別になる。」☞人によって「区別」となるものが別の人にとっては「差別」と感じる☞「区別と差別と線引きすることは難しい」とまとめる予定だった。が、が、が、何日かに分けて書いているという事情もあり、具体例を書いた後に「あれ?これって僕は差別って言いたかったっけ?それとも区別だっけ???」に始まり、「区別と差別の境界線が難しい」という主張(ゴール)を完璧に見失い、すっかり自分自身が迷子になり、設定したテーマにどっぷりと飲み込まれている状態。流石に「区別だろうが差別だろうが、君が今、正直に思うほうを書けばいい。ただし、大切なのはこの具体例が差別なのか区別なのか?ではなく『区別と差別を分けることが難しい』と言いたいわけだよね?ゴール地点の主張をしっかりと意識して、忘れないように!!!」と伝えた。つまり、実際の道路だろうが文章だろが途中経過は、その日の気分によって変えることはあってもいいけれど目的地だけは見失わないようにしなくてはゴールにたどりつけない。時には機械に頼りながら、人に頼りながら・・・でOKなので究極は自力で出発地点から到着地点まで迷わずに行けることが目標か。

2018/04/24 21:39

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五感をフル活用させよう

先日、友人から「手ぬぐい本」を頂いた。これが最高に素敵で何度も何度も「読んで」いる!!!読んで字のごとく「本」なのだ!手ぬぐいを本のように糸で閉じてありページをめくると次から次へと文豪たちのイラストと代表作品が紹介されている。ちなみに糸をとると一枚の手ぬぐいになる。用途としては①本として楽しむ②糸をほどいてタペストリーのようにして飾る③手ぬぐいとして使う・・・だが個人的には③はありえない。恐れ多くも文豪の数々を水に濡らしてぎゅっと絞って…はあり得ない。友人からのプレゼントなので、むろん大切にする上に生徒達にも見せてあげようと大張り切り。まさに「見て、触って、聞いて」と五感をフル活用できるので記憶に定着しやすく、少し敷居が高いと感じる文豪や文学作品に親近感をもってもらえると嬉しい。それにしても本当によくできているなあとつくづく感じる。まず、普通の本ではないという点で「え?なになに?」と興味がわく☞ページを開くと文豪の似顔絵、作品名、作品に関するイラスト☞脳裏に焼き付くのだ。例えば耳だけで「芥川龍之介の作品は『羅生門』『蜘蛛の糸』・・・と退屈な?講義を聞く、文章だけを目で読むよりも「イラスト+作品+耳」からの情報があると点と点が一気に線としてつながる。この手ぬぐいはとってもインパクトがあるので画像として記憶にとどめることが得意なタイプだと、一瞬にして多くの情報を教養として身に付けることが出来る。要するに教養や知識を身に付ける際には五感をいかにフル活用させるか?が大切だということ。とはいえ、国語の知識を五感を使って身に付ける・・・という機会やチャンスはそんなに多くない。だからこそ、この手ぬぐいは大活躍することだろう。さて皆が知っている事物、人物を例に出して別の人物を説明することも耳や目からの情報のみならずイメージとしてのインパクトがあるので有効だろう。ただし、くれぐれも犯罪者などが特定の人に似ている・・・と言うのはタブー。☜東京で女子高生が男性に体を触られた事件で、犯人が某有名人に似ているというメールが流されて問題になっていたが・・・。

 

2018/04/23 22:21

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「正解なき問い」

本日付(2018.4.22)の朝日中高生新聞の1面トップの見出しが「正解なき問いと向き合う」だ。「鬼の子どもの立場で考えたら、本当に『めでたし、めでたし』だったのだろうかー。3月、昔話の桃太郎を題材とした授業に取り組んだのは、東京都港区立御成門(おなりもん)中学校の2年生(当時)です。(中略)桃太郎は村を荒らす鬼を退治するストーリーですが、生徒に配られたのは『ボクのおとうさんは桃太郎というやつに殺されました。』と書かれたキャッチコピーでした。(中略)授業のきっかけは、このキャッチコピーが掲載された新聞広告です。(後略)」(朝日中高生新聞より引用)。記事中に「誰かの正義は、他の人の悪かもしれない。現実の世界でも起きているのではと思った」と中学生の意見が載せられており、本当にその通りだと思う。昔からよく言われている「小さな親切、大きなお世話」も視点が違うから起こる悲喜劇?だろう。この「正解なき問いと向き合う」のは人間の永遠のテーマ・課題かもしれない。もちろん自分自身も常にこのような「正解なき問い」を突き付けられているような状態・・・。そんな時には次の2点を心がけている。①想像力を養う(相手の視点を想像する)。②良い意味で固執しない、諦める。①に関しては使い古された内容かもしれないけれど、いざとなったら意外とすっぽりと抜けてしまう姿勢だろう。お教室では演習として解いた文章に対して、各自好きなコメントを口々にしている。「この主人公おかしいよね~!なんで○○なんてするんだろう?変だよね。」と言った具合に、主人公とは別視点からの意見が多い。そういう意見を聞くたびに付和雷同ではない個々人の視点、意見を持っている彼らに対して「おおっ、なかなか鋭い視点!」と感じる。さて、②に関しても①に通ずるのだけれど、行き詰ったら「あきらめ」て別の視点を持つことによって解決策が見つかることが多いと言いたい。例えば、あるテーマで「意見文」を書こうとして張り切ったものの、どうしても筆が進まないことはよくある。その時にそのテーマに固執することなくさっさと見切りをつけた方が賢明なことが多い。そもそもが「正解」が一つとは決まっていない、下手すると「正解」そのものがないものに対してはある程度の時間と労力を費やしてうまくいかなければ、見切りをつける。ほどほどの完成度でもよし!と自分に許可することが必要だと最近つくづく思う。だからこそ「国語」は嫌だというタイプがいるけれど、人生なんて「正解なき問い」の方が多い。国語力を鍛えて生きる力を付けたいものだ。

2018/04/22 16:47

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「杞憂」&相談する相手を選ぼう

「杞憂(きゆう)」と言う言葉がある。意味は「心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。(中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、「列士」天瑞の故事から)」。出来ることならば、何も不安を抱いたり心配をしたりせずに日常を過ごしたいけれど・・・そうはいかない。どうしても、人間は起きもしない将来の不安を必要以上に大きく感じてしまう。禅の考え方によると「感じる不安の9割は怒らない」そうだが・・・。とはいえ不安があるからこそ最悪の事態についての備えが出来るわけで、命にかかわる場面では必要以上に不安を感じる方が生物としては正しい選択だったといえる。また、勉強においても「試験で失敗したらどうしよう」と感じるからこそ、必死で勉強する。「○○校、△△大学に入りたいから勉強する」とは言いかえる「○○校、△△大学を不合格になりたくない、不合格になるかも?」という不安や心配があると言える。つまりは「不安」「心配」とうまく付き合っていくことが理想なのだろう。となると、「不安」「心配」を消すのではなくどうやったらうまく付き合えるのか?が個々人の課題となる。さて、本日(2018.4.21付け)の朝日新聞のbe「悩みのるつぼ」の回答が素晴らしいと感じたので少し紹介する。(相談者)「いじめられた記憶でつらくなる」(回答者)評論家 岡田斗司夫氏は次のように答えている「あなたをいまだに苦しめる正体は『またいつか、同じことが起きるかも』という無意識のアラーム音です。無意識はまだ『非常事態宣言』を解いていないからです。(中略)つまり以前よりずっと強くなったあなたは、もう同じ目に合うことはないんです。どうか安心して、さっさとアラームを切っちゃってください。」(引用終わり)。この回答を見事だと感じた理由は二つ。①分かりやすい「たとえ」を用いつつ根拠を明らかにしている②文章そのものが分かりやすい!!!この2点に尽きる。そもそもが本当に心配性のタイプだと「誰に相談しよう?拒否されないかな?」と不安になるのだろう。個人的には「誰に相談しよう?」と不安になってあれやこれやと画策することは大いに結構、むしろ人選をすべきだと思っている。

2018/04/21 18:29

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図式化

「きのふはけふの物語」(昨日は今日の物語)という江戸時代の仮名草子(仮名で書かれた読み物)の中にこんな話がある。「田舎から初めて京に出てきた人がいた。早速宿から見物に出ようと下人を呼び、道に迷わないように何かを目印にするように伝えた。いざ見物を終えて帰ろうとしたところ・・・下人は目印を見つけることが出来ない。なぜならば下人は途中途中の門柱に唾をつけたり、屋根にとまっているカラスを目印にしていたからだ。当然唾は乾く、カラスはどこかに飛んでいってしまったため・・・目印がなくなった」という笑い話。この話を読むと、なんて間抜けなんだ~と思うけれど、実は似たようなことを国語の問題を解くときにしてしまっているタイプが多い。どういうことか?長文を読むときに「キーワードをチェックする」ことによって本文のテーマや内容が分かるのだが、学年が上がりテーマや内容が複雑になってくると当然キーワードの種類も増えてくる。この時に、キーワードをチェックしただけで満足してしまっていたら先の古文の「カラスを目印」にしたり「目印として唾をつける」と変わらない。チェックをつけることはあくまでも内容理解を助けるための手段だが、下手すると「キーワードをチェックする」ことが目的になってしまっていると生徒がしばしば。最初はなかなかキーワードチェックを徹底できなかった頃に比べれば進歩なのだが、そこで止まってしまうと点数には結びつかない。複数のキーワードがどんな関係にあるのか?を理解しないことには本文の理解にはおぼつかず、正解にはいきつかない。ただ、キーワードをチェックするだけでは目印として唾を付けたものが順次、乾いていくのと何ら変わりはない。チェックしたキーワードを簡潔に図式化することが大切なのだ。図式化できる☞理解が深まるのだが、逆に理解が出来ていれば図式化が出来る・・・これではまるで「鶏が先か卵が先か」になってしまう。ではどうやったら図式化できるか?これは正直言って場数を踏むしかないという部分が大きく、最初は自力で難しいならば問題集の解説を参考に図式化、指導者がいるならば教えを乞うのが一番近道だろう。結局は正しい方法で地道に練習していくという作業が大切で、面倒だけれど「難解な文章を整理整頓する、図式化する」というテクニックを身に付けておくと例えば難解な?取扱説明書を目の前にしても落ち着いて対応できる、国語以外の科目でも理解のスピードが上がるという良いことづくめなので頑張ってマスターして欲しいと思う。

2018/04/20 23:08

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「匙加減」

新中一生は入学早々に学力テストを実施する学校と実施しない学校がある。学力テストがある場合、小学校のテストとは全く形式などが違うことに戸惑う場合が多い。初見の文章、問題数が多く時間配分が難しい、長い記述が出るなど、つまり難易度が高いのだ。それゆえに平均点自体が下がるので自分の点数が小学生時代よりも低いからと言って大きなショックを受ける必要はないけれど・・・。さて、昨日の授業で新中一生が学力テストの問題と解答を見せてくれた。惜しいケアレスミスはあったものの申し分ない高得点で、ホッとした。彼は学習意欲が高く、勉強が得意で国語塾に入る前から自主的に難易度の高いテキストを学習していたタイプ。そういうことを考慮し、新年度が始まる前から難度が高いテキスト演習を実施したところ「このテスト簡単に思えた~。」とのこと。日頃は難易度が高いテキストを前に「これ難しいから解説と解答を見て解きました・・・・。」と残念そうに言うこともあるけれど、そうやって日頃から厳しい?!トレーニングを積んでいるおかげだと内心ニヤリ。むろん彼にも「そうそう、このテキストで鍛えていると中学校で行われるテストは基本的に楽勝。難関私立でも対応可能の力がつくよ。」と日頃から伝えており、それが間違っていなかったと嬉しかったのだ。「匙加減(さじかげん)」が間違っていなかった?と自負している。「匙加減」とは【 さじに物を盛る加減。特に、薬を調合するときの分量の加減。 料理の味つけの程度・ぐあい。「ちょうどよい 匙加減 」 手加減。手ごころ。「上役の 匙加減 ひとつでどうにでもなる」「 匙加減 を誤る」】(「デジタル大辞泉」より引用)。同じ学年だからと言って皆が同じレベルではないため個々のレベルに合った勉強法が必要になる。学校や塾ではクラス分けされていることもあるけれど、それでもうまくフィットしないことも。そんな状態の時に出番となるのが家庭教師や個別指導で、指導者の手腕が試される。国語教室では特に新年度になる際には毎年、個々人に合ったレベル、内容のテキストを!とあれやこれやと複数の教材を選び、たとえ同じ学年は同じテキスト…の場合でもAさんにはこの問題を解かせるけれど、Bさんには解かせない(自主的に解くのはむろん大歓迎)といった具合に調整している。

2018/04/19 13:07

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